良き師
僕は「良き師」に恵まれてきた方だと思う。 今はもうやっていないけれど、若い頃はスキーが大好きだった。きっかけは中学3年のとき、よくスキーに行っている幼なじみのファミリーが「いっしょに行かない?」と誘ってくれたことだ。 あのとき、幼なじみのけいちゃんは、まったく経験のない僕に「直ちゃんは頭がいいからさ、スキーの本でボーゲンを勉強してから本番にのぞむといいよ」と言ってくれた。 頭がいいから、というのは、けいちゃんの優しさだ。僕が運動音痴であることを柔らかく言い換えてくれたということを、僕は知っていた。 僕はその優しい助言通り、近所の本屋で買ったスキーの本を片手に、家の中に座布団で傾斜をつけてイメトレした。 雪山に着くと、けいちゃんたちは腰が引けまくっている僕を、文字どおり、手取り足取り教えてくれた。 「さすが!予習してきただけあって、飲み込みがはやいね!」 なんておだててくれた。嬉しくなった。自分でも信じられないことに、半日でなんとかボーゲンが出来るようになっていた。 彼らはきっと僕なんかを教えるよりも、自分たちだけでスイスイ滑っていたかっただろう。それでも、その時間を僕のために使ってくれた。そしてあの半日のおかげで、僕のスキーの扉は開かれたのだ。 高校のスキー合宿も、大学時代に冬が来るたびに何回も雪山に行って楽しい思いをしたのも、すべて幼なじみが最初の先生だったおかげだ。 あのとき、「じゃあ頑張ってね。僕らは上に行ってくるから」と置き去りにされたら、間違いなく僕はゲレンデの楽しさを知らない人生だった。 今のワインの仕事もそうだ。ラジオディレクター時代、僕にワインの基礎を教えてくれた方がいたのがきっかけで「店をやるならワインだ」と思ったのだった。 あの「超ワインおたくの師」がいなかったら、今は別のことをやっていたと思う。 ニュージーランドの師は、従兄弟だ。もう現地に30年近く住んでいる。店をオープンするときに、現地からワインを送ってもらわなかったら、そしていっしょに現地のワイナリー巡りをしなかったら、今の僕はないと思う。 そんなことを振り返りながらふと思う。 もうすぐ49だ。人生折り返しを過ぎている。そろそろ僕も誰かの良き師にならないといけない年頃なんじゃないか、と。 いやいや、そうじゃない。僕に影響を与えてくれた良き師たちは、こいつの人生を変えてやろうと思ってアドバイスをしてくれたわけじゃない。 温かく接してくれた。丁寧に教えてくれた。そのおかげで、僕が勝手にそれを扉としたのだ。 そうだ。誰かの人生に影響を与えてやろうなんていうのはおごり以外の何物でもない。 ただ毎日、自分の好きなこと、伝えたいことを続けた結果、誰かがどこかで「おかげでよかったよ」と思ってくれたら、それでいい。直接言葉にされなくても、なんとなく伝わっている感触があればそれでじゅうぶんだ。 今の僕がやるべきこと。熱量を持って、伝えることを怠らないこと。これに尽きるかな。 ちなみに、僕はラジオの原稿は30年近く書いているけれど、そう言えば書き方をちゃんと教わったことがない。 だからいまだにつっかえつっかえだし、てにをはを間違えるし、たまに小林克也さんからクレームの電話がかかってくる始末だ。 どこかに、僕の文章の師はおらぬか。