ソムリエ岩須(いわす)のブログ

調光サングラス

ニュージーランドへの旅で、意外と見落としがちなこと。 それは・・・ウルトラ・ヴァイオレット。 UV。そう、紫外線だ。 南極に近いニュージーランドの上空は、オゾンホールがぽっかりあいている(厳密にはオゾン濃度が薄くなっていると言った方が正しい)。有害な紫外線を吸収してくれるオゾンは、我々人類の守り神。しかしニュージーランドでは、そのご加護が手薄なのだ。 渡航の準備をしながら改めて調べてみたら、ニュージーランドの紫外線量は日本の7倍だという。 な、7倍! 以前は日本の5倍くらいだと聞いていたのに、増えてるじゃないか。なに、紫外線量も昨今の物価みたいにどんどん上がっていくものなの? ワインに例れば、1杯のつもりが7杯も飲んじゃってベロベロ状態。それとも、13%のつもりで飲んだワインが、実は91%のアルティメット・ヴァイオレンス(UV)な蒸留酒だった感じか。酔うとかじゃなくて気を失う。 (ただ、紫外線=悪者というわけではない。適度な紫外線はビタミンD生成のために必要。ワインと同じで、適量なら人生を豊かにする。と慌ててフォローを入れてみる。) とは言え、7倍アタックは度を超えている。 これは万全に対策せねばと、まずは薬局で日焼け止めを購入した。先日キムラセラーズの木村さんとやりとしたときに、日焼け止めマストですよと念を押されたので、強めのSPF50+にしてみた。 さらに目の保護も必要だ。10年前に買った度入りサングラスが合わなくなってきたので、今回の渡航をきっかけに新調することに。 「光や紫外線の量にあわせて色が変わる“調光レンズ”が人気ですよ」 眼鏡屋さんにそう言われて飛びついた。そんな魔法のレンズが当たり前に棚に並ぶ世の中になっていたとは。目が節穴過ぎて、目のいちばん近くにある眼鏡界隈の常識がよく見えていなかった。 サングラスと眼鏡をいちいち取り替える必要がないなんて、旅のお供として完璧じゃないかしらん。 と言うわけで、渡航前に慣れておこうと、最近おニューの調光眼鏡ばかりをしておる。山登りにもなかなかいい。と最初は思った。しかし、写真を撮ってみて、あら?となった。 晴れているから、少しはサングラス機能を発揮しているんだろうなと思って写真を撮ると、レンズが真っ黒。もうそんなに色が付いているなんて、かけている本人はまったく気付かなかった。 つまり、こちらが気付かぬ絶妙な速度でじわじわ濃くなるので、かけている本人は今どれくらいの濃度になっているかがさっぱりわからないのだ。 まあ、外ではいい。知らぬうちにしっかり仕事をしてくれている頼もしいやつだと思える。しかし問題は、外から屋内に入ってワインのテイスティングをするときだ。テイスティングにおいては、色調は極めて重要な要素だ。 部屋に入り、眼鏡を外してレンズの色の変化を見てみる。なるほど、じんわりと透き通ってくる。しかし室内の光にも反応するため、完全な透明になるのにはけっこう時間がかかってしまうことがわかった。当然、色つきのレンズ越しではきちんとした鑑賞ができない。 ・・・これはいかん。普段の眼鏡にかけかえなければいけない。今回は20以上のワイナリーを廻るってことは、最低20回眼鏡チェンジをすることになるのか。 これって。 最初から「眼鏡とサングラスの併用」でよかったのでは・・・。 旅の知恵とは、実際に経験してはじめて身につくものだなあ、と旅に行く前から、またひとつ学んだのであった。

旅の準備

あれこれ準備を始めた。来月、ニュージーランドに行くための準備だ。 しかしいざ始めると、海外自体が久々すぎて、はて何を用意すれば良かったんだっけ、となってしまう。 パスポートとか、常備薬とか、着替えとか、洗濯ロープとか、モバイルバッテリーとか、コンセントのアダプタとか、そういうものはひととおり揃えた。 でも、旅行グッズをいくら揃えても、なにか足りない気がする。なんだろうな、このそわそわは。 そう思っていたけれど、さっきようやくその原因らしきものに気付いた。 次の旅は、人生を左右するものになる。 実は僕は、今やっている飲食店と通販店、今後どのような方向で進んでいけば良いのか、いつも迷っている。 きっとそれは、ずっと矢場町にいて、繰り返し同じような仕事をしすぎているからなんじゃないか、と最近思う。ボクモやボクモワインという器にお客さんを受け入れることばかりに一生懸命で、肝心のその器を磨くことをおろそかにしていたような気がするのだ。 この先、どの道が僕らにとって良いのか。どの道が楽しいのか。いくつも伸びている紛らわしい道の中から、「これは違う」を消す。そして、ひとつの道を選ぶ。その道がたとえ薄暗くとも、ぴかぴかに磨いた器で、わずかな光をその道に照らし、堂々と笑って進みたい。 そんな、これからやっていく上での自分の「拠り所」みたいなものををつくる旅にしたいのだ。 ちょっと振りかぶりすぎかも知れない。でも、せっかく店を休み、片道10.5時間かけ、遙かなる真夏の列島を転々とまわるんだから、それくらいの野望がなくてはと今は思っている。 そう。だから、そんな人生を左右する旅にするために足りていないのは、おそらく気持ちの準備だ。 よく、旅は準備から始まっている、という人がいるが、まさにそのとおり。気持ちを整えないと、旅先で深く感じ入ることなどできない。 現地で感じたことだけが旅のすべてではない。現地で感じるための感性を高めておくことも旅の一部なのだ。 そう言えば、大学生のとき、友人とイギリスをぐるっと廻る旅をした。あのときは、沢木耕太郎の「深夜特急」を何度も読んで、バックパックを背負って行った。あの本のおかげで、自分だって何かを見つけてやろうという気持ちが湧き上がったのだ。実際、現地では面白いことにいっぱい遭遇した。好奇心が面白い出来事を呼び寄せることが、あの旅でわかった。 今回もそうせねば。先人に力を借りよう。 そんなことで、紀行文の名著と言われる池澤夏樹の「明るい旅情」を読み始めた。 古い本だがいい。読み進めるうちに旅人の視線が僕の視線となる。そうかそうか、旅ってこうやって楽しむんだな。 気持ち、高まり始めてきた。そわそわ、収まってきた。

尺度はさまざま

真田広之が日本人初のゴールデングローブ賞受賞。すごすぎる。高校教師から30年か。ふと、桜井幸子は今どこで何をしていて、このニュースをどんなふうに受け止めてるんだろうな、なんて思ったりして。 さて、ゴールデングローブ賞は、我々も知ってるくらいの有名な映像作品の賞。もうひとつ格上にアカデミー賞があることも広く知られている。 これらの賞には明確な権威がある。人気と実力を裏打ちする象徴的な存在がこういった華やかな賞とも言える。 しかし、ワインの世界となると話は少し複雑だ。 地球上には無数のワインが存在するが(最近こればかり言っている気がする)、それを評価する団体や媒体だって数えきれないほどあるのだ。評価媒体も群雄割拠の状態なのだ。 よって、ワイナリーたちはあちらこちらの団体にワインを出品し、高評価を得るたびにその結果を自らの宣伝材料にしている。 そして私たち人間は、どうしても賞を取ったものに弱い。特に馴染みの薄い業界のものに対してはとても弱い。なんなのでしょうな、あの「プロのお墨付き」の神通力は。 某通販サイトでは「金賞受賞セット」という名の商品が爆発的に売れているらしい。もっとも、その金賞がどこのどんな団体の賞なのかを気にする人などあまりいないようで、大事なのは、金賞という印だけ。それでいいのか、ワイン業界!なんて思ったりもするけれど。 ただ、一方で、世界的にプロから信頼されている評価媒体というものは存在する。 たとえば、アメリカでは『ワイン・アドヴォケイト』や『ワイン・スペクテーター』。イギリスでは『デキャンタ』や『インターナショナル・ワイン・チャレンジ』。イタリアでは『ガンベロ・ロッソ』、ニュージーランドでは『ザ・リアル・レビュー』といった具合に。 これらの媒体は、我々にとっては一種の羅針盤のようなものだ。評価が高ければ必ず美味しい、と言うわけではないが、プロ受けする要素があるんだろうという予想は立つ。 ところで、上に挙げたうちのひとつ「ワイン・スペクテーター」は、去年、あるニュージーランドワインにもの凄く高い評価をつけた。それは、「クラギー・レンジ ソーヴィニヨン・ブラン テ・ムナ マーティンボロ 2023 」。 「2024年の年間トップ100」で第11位にこのワインを選び、ソーヴィニヨン・ブランだけで見ると、このワインを「世界No.1」に選んだのだ。 ええ!?どんなワインなの? と気になる方は、ボクモワインより絶賛発売中の「2025年福袋」をチェックしてください。実は、全福袋にこのワインを入れてお届けしている。おかげさまで売れている(手前味噌)。評価がすごいだけじゃなく、僕もこれは素直に美味しいと思ってます。 ところで、年末にわたくし岩須の独断と偏見による「今年のベストワイン」という文を書いた。これまた手前味噌ながら、あそこに紹介したワインはすぐに売り切れになった。近日中に再入荷する予定なので、よかったらそちらもチェックを。 繰り返すが、ワインには「ここさえチェックしておけばいい」という絶対的な指標がない。だから、数多ある金賞やハイスコアに頼りすぎることなく、「マイ尺度を持つ」ことが、僕は大事なんだろうと思う。 その点で言えば、ボクモワインでワインを購入すると、それぞれのワインの説明が書いてあるワインカードが1本につき1枚ついてきて、裏はメモ欄になっている。これはマイ尺度づくりに便利だ(今日三回目の手前味噌)。 金・銀・銅、あるいは点数などを書いておけば、あとから役に立つ。だって自分がつくった尺度がなにより信頼性が高いでしょう。 今日は、図らずも味噌過多の日となった。この勢いで寿がきやの味噌煮込みうどんをつくって食べようと思う。料理のBGMは、、、そうだな、森田童子で。

今年のベストワイン

今年最後は、ワイン屋らしく「今年のベストワイン」という話題で。 地球におけるワインの産地は無数にあり、その産地一つ一つにそこにしかない個性的なワインが存在する。そして、どんなに博識なソムリエでも、世界中のワインを飲み尽くすことは出来ない。よって、世にあるワインの格付けやランク付けは、たいがい専門家がチームを組んで評価している。 ただ、ニュージーランドは世界のワイン生産量のわずか1%。それくらいならば、専門的にやっていればひとりでも網羅できるんじゃないか。専門店をやりはじめた頃はそう甘く見ていた。 が、実際はとんでもなかった。 今、ニュージーランドのワイナリー数は700ほど。そのうち、日本に輸入されているのは100〜150。それぞれが仮に平均5銘柄持っているとすると、500〜750銘柄。さらに、各ワイナリーは毎年同じものを出してくるわけではなく、次々に新銘柄を投入している。うむむ。 やはりニュージーランドのような小さな生産国であっても、全ワイン制覇は個人では到底不可能なのだ。 しかし、だからこそ面白い。専門的にやってきたつもりでも、まだまだ新しい出会いがいつもあるのがいいのだ。 「追いかけて、追いかけてもつかめない、ものばかりさ」とチャゲアスが昔歌っていたが、人はつかめないからこそ、そのもどかしさに楽しさを感じるのだ。 今年もまた、新しい出会いが山ほどあった。そのたびに胸がときめき、そのときめきが次の1本を追い求める原動力となった。 さあ、そんな前置きをしたところで、今年最もときめいたトップ3、脳内のチーム岩須たちの合議により、以下に決定です!   第3位 キムラセラーズ マールボロ ドライリースリング 2023 ¥3,960 木村滋久さんのシリーズの中でも、この辛口のリースリングがいちばんグッときた。香りを嗅いで口に含んだ瞬間、背筋がピンとなった。 ペトロール香はほとんどない。ピュアな青リンゴの果実味と長く続く余韻のミネラル感。絶妙なバランスだと思った。飲み終えてまた背筋がゆるむ。ああ美味しかった。向き合うべき、幸せリースリング。 第2位 トリニティヒル ギムレットグラヴェルズ シャルドネ 2022 ¥6,380 秋に来店しイベントをやったトリニティ・ヒル。上級キュヴェのこのシャルドネは、そのときに初めて試飲した。そして度肝を抜かれた。 ニュージーランドのシャルドネといえば「果実味と樽香がせめぎあった結果、果実味の辛勝」といったものが多い。そんな中、こちらはステンレスタンク熟成で、はなから樽香に頼っていない。シャルドネ本来の深みで勝負している。その心意気が気に入った。ミネラル感しっかりの余韻で、ついついおかずに手が伸びる。 シャブリ先輩にも胸を張れる「シャルドネの本懐」を感じたワイン。見事に心を打ち抜かれた。   第1位...

2024 振り返り

2024 振り返り 1 低山登り ふとしたカウンターでの会話がきっかけだった。「可児の山なら気軽に行けるよ」と勧められ、思い切って登山靴を購入。試しに行ってみたら、どうやら僕にはこの遊びが向いているらしいことがわかった。 2万円で買った靴も、すでに10回使った。1回2000円と考えると、案外安いもの。このペースで来年も通えば、どんどん減価償却が進む。よし。 いつもだいたい仕事のことを考えているけれど、山は頭を仕事から引き離してくれる。脳がいったんクリーンになる。その頭で仕事に戻ると、案外はかどる。今や、山は仕事を前進させるブースターとも言える。 2 生産者がやってきた 今年はニュージーランドから三人の生産者をボクモに迎えた。 キムラセラーズの木村滋久さん、ペガサス・ベイのエドワード・ドナルドソンさん、そしてトリニティ・ヒルのウォーレン・ギブソンさん。 それぞれが素晴らしいワインとともに、この小さな空間でお客さまと直接交流してくれた。インタラクティブなコミュニケーションが生まれると、ワインは単なる飲み物以上の存在になるんだと再認識。参加者にとって、そのワインは自分が積極的に参加した会の印となる。特別な「飲む記念品」となるわけだ。 3 ラムバーグ 去年に引き続き、ボクモでラムバーグがヒット。今年は「チーズ&アップル」という新たなバージョンを投入したところ、これがまた予想を超える反響だった。ラムバーグが出ると赤ワインも一緒に売れる。これぞ、食べ物と飲み物の相乗効果。 それにしてもラムバーグは、突如加入してクリーンナップで打ちまくっている細川成也(中日)のような頼もしさがある。この一皿が、お店をさらに強くしてくれる。来年も、ヒット量産よろしく頼むよ。ボクモ、上昇気龍に乗りたい。 4 大使館潜入 人生初のニュージーランド大使館訪問は、まるで映画のワンシーンのような体験だった。雨に濡れた美しい庭園。洗練された調度品。集うおハイソな(と思われる)方々。超絶に美味しいフィンガーフード。 いや、僕はシチュエーションにうっとりするために行ったではない。ワインの情報収集のためだ。 現地の生産者たちと話をする中で感じとったのは、彼らの情熱だ。"ニュージーランドワインをもっと日本で広めたい"という想いは、僕たちとビタッと重なる。同じ目標を共有できる仲間はやはりちゃんといる。きっと彼らとも力を合わせるときが来るだろう。そう思って、非日常空間をあとにした。 5 15周年パーティー 秋のパーティーでは、ミュージシャンとの再会が嬉しかった。またここが音を響かせる場になれてよかった。 それにしても、シェフの力よ。料理だけじゃなくて、曲も作れて、楽器が弾けて、あっちからもこっちからもみんなの心にアプローチできるシェフは他にいまい。素晴らしかった。 3日間、音楽と料理とワインでお客さんを挟み込んだ。各要素がお互いを引き立てあうことで、広がりがうまれる。そんなことを目指した。後日、参加した方から「あのパーティー、楽しかったよ」と言っていただけて、ああ、挟んでよかったと思った。 え?僕とシェフの漫才はって?まあ、あれはご愛敬ってことで。 6 通販と飲食 飲食店ボクモに来たお客さまが「へえ、通販もあるんだ」と知り、ワインを買ってくださることが増えた。そして、通販店ボクモワインのお客さまがわざわざ北海道、関東、関西、四国、九州と、遠方からボクモに足を運んでくださることもしばしば。 飲食店と通販店、この二つの相乗効果が目に見えて表れてきたのが今年だ。オンラインがつなぐ縁。人と人が交わる場の力。両方をしっかりと感じた年だった。 前からオンラインでお世話になってる方に初めて会うときの、初めましてじゃない感じ、あれって「こそばゆ嬉しい」のよね。   と、今年をざっと振り返ってみると、ひとつの漢字が浮かんでくる。 そう、どの出来事にも貫かれているある漢字。その一文字とは… 「「相乗効果」に、しんにょう」...

まかせていただける

クリスマス&歳末セールまっただ中の我らがオンラインショップ「ボクモワイン」。ありがたいことに、連日、インターネットの海からざぶーんと大波が押し寄せてくるように、ご注文をいただいています。 画面の向こうには日本津々浦々のお客さま。いや、ニュージーランド在住の方が日本へのプレゼントに使ってくださることも多いので、ニュージーランドワインが好きなグローバルな皆さま、と呼ぶべきか。 そんな方々が、わざわざ我らのサイトを見つけ、僕が選んだ愛するニュージーランドワインを、「まあここなら信用できるかな」と、ぽちぽちと注文してくださっている。ひとつひとつのぽちぽちが集まって、ざぶーんと大波になり、その波を僕らは華麗にサーフする…いや、実際は必死にあっぷあっぷしながら発送をこなしているわけですが。 しかしまあ、なんとありがたいことだろうと思う。ニーズがある仕事っていいもんだ。それは、飲食店をやってきてヒマに殺されそうになった経験がなんどもあるので、実感としてとても強い。求められているということは、社会の中で「君は存在して良いよ」と承認されているのと同じだ。 さて、そんな発送業務の中でも、ひときわ頭を使うのが「おまかせセット」のセレクトだ。 はじめての方は、まあ大丈夫。なるべくニュージーランドワインへの扉となるような、代表的な味わいのものを選ぶようにしているからだ。 しかし3年以上やってきて、おまかせセットを複数回ご利用いただいている方も増えてきた。中にはもう20回以上このセットを注文してくださる猛者もいらっしゃる。 今回のセールでもそんなありがたい猛者を含む複数回組の方がけっこう多い。そういう方にどんなワインをセレクトするのか。これが僕の腕の見せ所であり、最も頭を使うところだ。 ひとつひとつのご注文に、お客さまの顔を想像しながらこれまでの購入履歴を開く。どんなワインを飲んできたのかを確認し、これからどんなワインならさらに楽しんでいただけるか、思いをめぐらせる。 これまでのオーダーでピノ・ノワールが多ければ、今度はすこし冒険してシラーも混ぜてみよう、とか。 通信欄に「シャルドネ2本よろしく」とあれば、異なる産地のシャルドネを飲み比べていただこう、とマールボロ産とホークス・ベイ産を選んでみる、とか。 「これなら喜んでいただけるかも」「いや、ちょっと冒険しすぎかな?」画面の前で思案しているうちにあっという間に時間が経っている。そして、「ええい、これが今の僕に出来るマックスだ」と最後に出荷ボタンを押す。 でも、やはりちゃんとお好み通りに出来たかどうかはわからなくて、毎回ドキドキしてしまう。 飲食店ならば、直接目の前で好みをヒアリングできるから、やりやすいし、外しにくい。でも、通販は「履歴」と「通信欄」が選定のヒントのすべてだ。正解だったかどうかは、リピートしてくださってはじめて、「前回ので大丈夫だったんだ」とわかる。 ただ、今回のセールでは、これまでのセールとは比べものならないくらい「おまかせセット」のリピートのオーダーが押し寄せている。これまで3年間やってきたこと、ちょっとは正解の部分もあったのかな、と今、小躍りしてこれを書いている。 ニーズがあるのは嬉しい。まかせていただけるのは、なお嬉しい。 今日もうんうん唸ってワインの選定、やっとります。セレクトだけで、もう3時間経っちゃった。皆さんが待っている。急がねば。 そして次の大波、どんと来い、です。

言い得て妙

「寒すぎて、冷凍餃子が耳にくっついている気分になる。」 とある本でこの表現を発見して、腹を抱えた。 わかる!わかります!そして、羨ましい。 こんなぴったりな気分を表す言葉はなかなかない。だって、耳の形は餃子みたいだし、極寒の中では耳がもの凄く冷たくなる。そして、冷凍餃子は今や誰もが知っていて触ったことがあるやつだ。 自分のものじゃない、冷たい耳状の物体がついている。感覚の麻痺具合まで伝わってきて、まさに言い得て妙。 膝を打ちまくりだ。こんな言葉を自分も生み出してみたい。そう思った。 ワインの界隈でも、先日似たような感動があった。それはニュージーランドのワインメーカーの話を聞く機会があったときのこと。 彼はこう言った。「僕らがつくるシラーは、【ダブルショット ピノ・ノワール】だ」と。 膝、連打!!! マニアでない方に補足しておくと、今、ワイン界隈ではクール・クライメート・シラーというのが流行っていて、いわゆる昔のぼってりこってり濃厚なシラー(シラーズ)ではなく、冷涼な気候のもとでつくられる、エレガントで爽やかなシラーが受けてきているのだ。 そのスタイルは、エレガント界のトップランナーであるピノ・ノワールほどは薄くない。されど、エレガントを持ちながらも濃い。それはピノを2倍濃くしたイメージ。 だからエスプレッソのダブルショット(倍のコーヒー豆を使って入れた濃い味)という比喩を使ったわけだ。 かっこいい! ダブルショット ピノノワール。これは冷涼シラーの表現の発明だと思う。羨ましいな。到底僕には到底思いつかないワードだ。 きっと、そういう言い得て妙な発明ができる人は、想像力が豊かで、普段から例え癖がついているんだろう。 僕も想像力を鍛えたい。 よし、では練習だ。先週登った東谷山の紅葉。あの感動的な景色をなにかに例えてみるとしよう。 「山頂のモミジは、青空に向かって燃える炎のようだった。」 ・・・つまらん。使い古されている。独創性ゼロだ。 では、趣向を変えて、 「その景色はまるで、焼き肉のタレが激しく飛び散った水色のTシャツだった。」 ・・・台無しだ。誰も共感できないものになってしまった。きれいな秋の空と紅葉を見て、タレで汚れたシャツくらいしか思いつかないところが恥ずかしい。 引き出しが少なすぎるのだ。ワインばっかり飲んでないで、本を読もう。そうしよう。

良き師

僕は「良き師」に恵まれてきた方だと思う。 今はもうやっていないけれど、若い頃はスキーが大好きだった。きっかけは中学3年のとき、よくスキーに行っている幼なじみのファミリーが「いっしょに行かない?」と誘ってくれたことだ。 あのとき、幼なじみのけいちゃんは、まったく経験のない僕に「直ちゃんは頭がいいからさ、スキーの本でボーゲンを勉強してから本番にのぞむといいよ」と言ってくれた。 頭がいいから、というのは、けいちゃんの優しさだ。僕が運動音痴であることを柔らかく言い換えてくれたということを、僕は知っていた。 僕はその優しい助言通り、近所の本屋で買ったスキーの本を片手に、家の中に座布団で傾斜をつけてイメトレした。 雪山に着くと、けいちゃんたちは腰が引けまくっている僕を、文字どおり、手取り足取り教えてくれた。 「さすが!予習してきただけあって、飲み込みがはやいね!」 なんておだててくれた。嬉しくなった。自分でも信じられないことに、半日でなんとかボーゲンが出来るようになっていた。 彼らはきっと僕なんかを教えるよりも、自分たちだけでスイスイ滑っていたかっただろう。それでも、その時間を僕のために使ってくれた。そしてあの半日のおかげで、僕のスキーの扉は開かれたのだ。 高校のスキー合宿も、大学時代に冬が来るたびに何回も雪山に行って楽しい思いをしたのも、すべて幼なじみが最初の先生だったおかげだ。 あのとき、「じゃあ頑張ってね。僕らは上に行ってくるから」と置き去りにされたら、間違いなく僕はゲレンデの楽しさを知らない人生だった。 今のワインの仕事もそうだ。ラジオディレクター時代、僕にワインの基礎を教えてくれた方がいたのがきっかけで「店をやるならワインだ」と思ったのだった。 あの「超ワインおたくの師」がいなかったら、今は別のことをやっていたと思う。 ニュージーランドの師は、従兄弟だ。もう現地に30年近く住んでいる。店をオープンするときに、現地からワインを送ってもらわなかったら、そしていっしょに現地のワイナリー巡りをしなかったら、今の僕はないと思う。 そんなことを振り返りながらふと思う。 もうすぐ49だ。人生折り返しを過ぎている。そろそろ僕も誰かの良き師にならないといけない年頃なんじゃないか、と。 いやいや、そうじゃない。僕に影響を与えてくれた良き師たちは、こいつの人生を変えてやろうと思ってアドバイスをしてくれたわけじゃない。 温かく接してくれた。丁寧に教えてくれた。そのおかげで、僕が勝手にそれを扉としたのだ。 そうだ。誰かの人生に影響を与えてやろうなんていうのはおごり以外の何物でもない。 ただ毎日、自分の好きなこと、伝えたいことを続けた結果、誰かがどこかで「おかげでよかったよ」と思ってくれたら、それでいい。直接言葉にされなくても、なんとなく伝わっている感触があればそれでじゅうぶんだ。 今の僕がやるべきこと。熱量を持って、伝えることを怠らないこと。これに尽きるかな。 ちなみに、僕はラジオの原稿は30年近く書いているけれど、そう言えば書き方をちゃんと教わったことがない。 だからいまだにつっかえつっかえだし、てにをはを間違えるし、たまに小林克也さんからクレームの電話がかかってくる始末だ。 どこかに、僕の文章の師はおらぬか。

野生酵母の謎

ワインを偏愛する者同士の会話で、たびたび話題になるのが酵母の話題だ。 酵母は、ぶどうジュースをワインに変える魔法使い。これがいなければ、いくら高級なぶどうでもただのジュース止まりだ。酵母には大きく分けて、培養酵母と野生酵母がある。前者は科学的に管理された安定派、後者は自然界のミステリアスな存在だ。 培養酵母は、その名の通り特定の性質を持つ酵母菌を選抜し、人工的に培養したもの。スーパーで売ってるパン酵母(イースト)ように粉状になっており、計算通りに発酵を進められる頼れる相棒だ。一方で野生酵母は、自然界にふわふわ漂っている無数の酵母菌たち。彼らは人間が手を加えることなく、勝手にぶどうジュースを発酵させてくれる。 とはいえ、野生酵母を使うにはリスクが伴う。発酵が遅れることもあれば、途中で止まってしまうこともある。それでも、野生酵母を選ぶワインメーカーたちがいる。「酵母を無理やりではなく、自然に任せたい。その土地ならではの味わいが出せるからね」と彼らは語る。その言葉には、どこかアーティスト的なロマンが漂う。 では、肝心の野生酵母はどこにいるのか? これは僕も長年気になっていた。「ぶどうの実に付いている」と書いてある文献もある。しかし、ニュージーランドの研究では「実際にはぶどうそのものにはほとんど付着していない」とのレポートもある。ではどこに? 蔵付き酵母のように、ワイナリーそのものに住み着いているのか? そんな疑問を抱えながら開催したのが、ニュージーランドの名門ワイナリー「トリニティ・ヒル」のイベントだ。25年以上チーフワインメーカーを務めるウォーレン・ギブソンさんが来日し、彼らのワインづくりについて語るというもの。しかもこのワイナリー、野生酵母を使用しているというではないか。 これはチャンスとばかりに質問してみた。 「ウォーレンさん、野生酵母ってどこにいるんですか?」 すると彼は少し笑って答えた。 「正直なところ、野生酵母がどこから来るのかは未だによく分かっていないんだ。」 なに・・・発酵の司令塔であるワインメーカーでさえ解明できていないとは!? 彼は続ける。 「僕たちがワインを学び始めた頃、野生酵母を使うなんてあり得ないと言われていた。でも試行錯誤を重ねるうちに、野生酵母がしっかり働く条件を経験的に掴めるようになったんだよ。それでも、どこからやってくるのかを突き詰めることはしていない。そんな時間なんてないんだよ。毎日やることだらけだからね。大事なのは理想の味を引き出す環境を整えることだと思ってるよ。」 彼の言葉には、科学と経験、そして自然や神秘的なものへの信頼が共存していた。 この話を聞きながら味わったシラーは、実に複雑で奥深く、エレガントだった。見事にまろやかだった。目に見えない酵母の力を信じて、その力を最大限に引き出そうとしてきた努力が、この調和した味わいを生むんだろうなと思った。 来年は彼らのワイナリーを訪ねて、さらに深く野生酵母の謎に迫ってみたい。

航海は続く

ボクモ15周年パーティー、無事に終えることができました。ありがたいことに、3日間とも満員御礼。 初日の地獄シャンソンから始まり、2日目のアイリッシュ、そして最終日の文化祭と、音楽と飲食の共演をお届けしました。 しかしわたくし、実はイベント直前でやらかしてしまいました。がっつりと体調を崩してしまったのだ。風邪なのか、なんなのか。もしかしてちょっと前に打ったインフルエンザワクチンの副反応なのか。熱は出ないし咳もない。でも、異常にだるいのだ。 初日は、身体を引きずりながら何とか完遂。2日目の朝は倦怠感でベッドから立ち上がるのが一苦労。これ、もう終わったんじゃなかろうか。絶望の二文字が脳裏をよぎる。が、2時間ほど昼寝をしたら、あら不思議、ちょっとマシに。最終日にはほぼ復活して、無事に3日間を乗り切れました。 ふと思うと、体調が回復してきたのって、迫力ある生演奏を間近で浴びたおかげじゃないかと思う。 蜂鳥あみ太さんの地獄の底から響くような歌声。悠情さんの麗しいフィドルの調べが体の芯に届き、免疫力が高まったんじゃないかと。へたな薬よりもいい音楽の方が体調不良には効く気がする。 あと、来てくださるお客さんが楽しそうにしている様子。これもよい薬になったと思う。楽しそうな顔を見ると、不思議と力が沸いてくる。 そして体に力が戻ってきて、頭がしゃっきりしてくると、オープン当時の気持ちが蘇ってきた。 イベントを積極的にやる飲食店がつくりたい。そんな無邪気な思いだけでボクモをスタートしたんだった。 それまで飲食店経営なんてやったことがなかった。今ならなんて無謀なことをと思うが、当時は無駄にやる気に満ちあふれていて、周りなんか見えておらず、己の無謀さなんてまるでわかっていなかった。よくもまあ、荒れ狂う大海原に急ごしらえの小舟でこぎ出したもんだと思う。 でもなんとか沈没せずに(コロナの大波はまじで辛かったけど)、15年持ちこたえて、航海を続けている。ありがたいことです。 パーティーには、最近ボクモを知ってくださった方や、ずいぶん前から、中にはオープン初日から通ってくださっているお客さんも来てくださった。嬉しいことに元スタッフもかけつけてくれた。胸が熱いよ。 なんだか、この会って、自分たちのやっていることを肯定していただくための会だったのかもしれない。みんな「君の小舟、存在していて良いよ」と、わざわざ僕らに勇気を与えるために来てくれたんだと思うと、ありがたさとともに、ちょっと申し訳ない気持ちにもなったりした。いただいた勇気、これからの営業でしっかりお返ししていきたい。 3日目の文化祭、シェフとのんちゃん(シェフの親友)によるオリジナルソング、沁みました。サプライズでボクモの店名の由来になったRADWIMPSの曲も披露してくれて、うるうるきました。二人のきれいなハーモニーを聴いて、完全に体内の悪いものは雲散霧消したよ。 イベントは楽しい。そして、体調を戻してくれる。進む勇気をくれる。またやろう。元気になった体で、航海は続く。

繋がりを感じる

なぜ人は異国の文化に触れたがるのだろう? これは僕にとっては永遠のテーマである。 若い頃は洋楽ばかり聴いていた。邦楽も聴いていたが、琴や尺八を使ったいわゆる純邦楽ではない。海の向こうの楽器と理論で作られた、いわば輸入品を日本で加工して親しみやすくした音楽だ。 そして、今は日本酒や焼酎じゃなくて、ワインだ。ふと立ち止まると、日本人のくせに日本固有の文化に愛が足りないんじゃないか、と我ながら思ってしまう。 これまでに、舶来品が好きになり、それを仕事にしている人生の先輩たちに、この質問をぶつけてきた。 なんで我々はこの業界にいるんですかね?と。なぜ日本人は舶来品に弱いんですかね、と。 しかし、すっきりする回答をもらったことは今のところない。 今時こういうときはAIかと思って、ChatGPTに尋ねてみる。 結果は・・・ 「日本には長い鎖国の時代があったため、西洋からの技術や文化が貴重なものであるという意識が根付いていました。明治維新以降、日本社会は先進的な西洋文化を取り入れることで発展を遂げました。この過程で、「舶来品」=「品質が良くて新しいもの」というイメージが定着したのです。 また、戦後の復興期において、アメリカやヨーロッパの製品が「憧れ」や「豊かさ」の象徴とされるようになり、舶来品がステータスシンボルとなりました。この時代の人々にとって、舶来品を持つことは経済的な成功や流行の最先端にいることを示す一種のステータスだったのです。 さらに、日本文化には古来から「他者から学ぶ」という精神があり、異文化を取り入れつつも自分たちの価値観に合わせて独自の形に発展させることが得意です。舶来品に対する強い関心は、新しいものや他文化への好奇心の表れでもあります。」 すごいなAI。なんとまあ、納得のいく答えでしょう。 この回答を数秒で出してくるとは、今まで永遠のテーマなんて思っていた自分はなんだったんだろうと思う。 明治維新で西洋に圧倒されたひいおじいちゃんたち、戦後の復興で豊かさを追い求めた祖父母と両親。 そういった異文化に向き合った上の世代の営みが、今の僕たちの趣向を作っているんだな。好奇心の旺盛さは、時代を超えて繋がっているものなんだな、と。 そして僕ははっとした。 もしかしたら、僕が舶来ものに惹かれる理由は、もうひとつ、遠い誰かとの繋がりを感じているからかも知れない、と。 ニュージーランドのワイナリーに行ったとき、働く彼らはこんなことを言った。 「僕らはワインというパーティーに遅れてやってきたんだ。だから必死で追いつこうとしているんだよ。」 その言葉に僕はしびれたのだ。 何千年も紡がれた重厚なワイン文化の中に、1980年代、突如としてに軽やかに現れたのがニュージーランドだ。 30歳を過ぎて、ひょんなことから飲食業に飛び込んだ自分もまた、遅れてきたやつだ。 伝統がなくたって、工夫と努力で追いつけるかもしれない。彼らはそう信じている。僕だってそうだ。 遠く離れているが、我々は新人同士という共通点がある。ワイナリーを巡ったとき、そんな繋がりを見つけられたことが嬉しかった。やっぱり繋がっている感覚っていいよ。勘違いだったとしてもね。心があったかくなるもん。 それにしてもすごいです。AIによって、上の世代との繋がりに気づかされ、横の同ジャンルの人との繋がりも思い出すことになるとは。機械から心のあったかさをもらえるなんて、不思議な時代になったもんだ。   さて、皆さんとの繋がりに支えられて15年。今週開催のボクモの周年パーティー、おかげさまで初日と3日はご予約で満席となりました。 11/16(土)は、まだ数席のご予約枠があります。この日は、アイルランド音楽、アイリッシュダンス、北欧音楽の素晴らしい異文化を届けるミュージシャンが登場します。悠情さん、望月雄史さん、Risaさんです。 よかったら「新しい繋がり」を感じにいらしてください。ラムのハンバーガーとボクモワインで人気のニュージーランドワインをご用意して待っています。ご参加フォームはこちらです。

文章と料理

文章と料理は似ている。 文章を書くには頭の中にある「伝えたいこと」が必要だ。 料理ならば「目指す味」。 誰かに伝えたいことがあるから文章を書く。食べさせたい味があるから料理を作る。 人に伝えたいこと。それをどう伝えるかを考える。言葉を選んで適切に並べる。そうして、伝えたいことが人にも理解できるような形となる。伝わると嬉しい。 食べてもらいたい味を目指して、食材を揃え、下ごしらえをし、調理する。美味しいと感じてもらえると嬉しい。 結局、文章と料理は、誰かに共感してもらうための手段なんだなと思う。 あ、違うか。自分が食べたいものを作る自炊も料理で、自分だけに向けた日記も文章だ。両方とも、自分を納得させるための手立てでもあるのだな。 今、新メニューの試作を4つやっている。 ひとつは、ボクモのグランドメニューにするもの。これはいつも通り、シェフといっしょにアイデアを出して、シェフに何回か試作をしてもらって、完成に近づけていくやり方。 今回は、初回でかなり「来たぞ!」というものができた。あとは微調整して写真を撮ってオンメニューまで一直線だ。 あとの3つは、今度のボクモの15周年パーティーで出す特別メニュー。シェフは別の準備が色々とあるので、僕が自宅で試作をして完成までもっていくことになっている。 メニューは「バインミー」「ラムバーガー」「ホットドッグ」と、どれも挟むやつ。 作ってみると、まあ悪くない。だけど「これはいいぞ!」と心躍るところに到達するにはまだまだ。 何回か作っているうちに、世の中の挟むやつは、微妙なバランスで成り立っていることがわかってきた。 パンと具。具の種類。味の濃さ。歯触り。冷たいと暖かいの温度差。どれも、ちょっと変えるだけで全体の印象がガラッと変わる。 だから、微調整を繰り返す。そして、ここでやめようというタイミングがどうにもつかめない。結果、延々と調整を続けているうちに、腹がパンパンになり、夜が明けている。 そしてふと思う。 これは文章を書くときとそっくりだ、と。僕は自分の書いた文を推敲するのがやたら好きだ。推敲し始めると、もっと磨けるのではないかと、ずっと撫で撫でしちゃう。やめ時がわからないのだ。 これは危険だ。 どこかでゴーサインを出さないと、永遠に料理の微調整と文章の推敲だけをやっている人生になってしまう。 ただ文章の場合、助かるのは締め切りの存在だ。締め切りがあるおかげで、「もうこのへんで撫で回し終了!」と見切りがつけられる。 そうだ。まだパーティーの開催日まで時間の余裕があったから、試作&微調整を繰り返してしまっていたのだ。 よし。次の試作は直前のぎりぎりにやろう。そうしたら「もうこれで完成」と諦められるし、あとはドキドキしながらお客さんの反応を待つしかない、と腹をくくれる。 料理も文章も、タイムリミットを有効利用すれば、自分から手放し、相手に委ねることができるんだな。 やはり、料理と文章は似ている。   === 音楽と飲食であなたを挟みます。 ボクモ15周年パーティーは、11/15(金)16(土)17(日)の3日間開催。15日はご予約にて満席。16日(アイルランド&北欧音楽)、17日(ボクモ文化祭)はまだ空きがあります。...

暗い店に学ぶ

仕事柄、「おすすめの飲食店は?」と聞かれることがよくある。 名古屋の名物を楽しめる店を教えるのは案外簡単だ。名古屋には、グルメ界で無双の存在・大竹敏之さんというライターがいて、彼の書籍から少しピックアップすれば、名古屋の「らしさ」を堪能できる店を紹介できる。 最近だと、SNSで話題になった「コデランガイド」という一冊が秀逸だ。この小冊子は、名古屋大学病院の小寺教授と、彼の率いる消化器・腫瘍外科の先生方が、学会の際に配るためにつくったグルメ本で、大竹さんも編集に協力している。 名大病院の先生たちが自ら取材した170軒以上の店が載っていて、「地元の人が通う店が一望できる!」と大評判なのだ。無料配布にしてはクオリティが恐ろしいくらい高く、地元民でさえ唸る内容だ。 (ちなみにボクモも載せてもらっている。わざわざ先生方がラムチョップとNZワインをたらふく召し上がりに来てくれて、取材してくれた。感謝しかない。) とはいえ「若者に人気の店」となると、話は別だ。 僕は世間の飲食店事情を把握しておかねばと思ってはいるが、夜はだいたいカウンターに立っているし、そうでない時は原稿を書いている。流行りを追っかける余裕がないのが実情だ。 そこで頼りになるのは、カウンター越しに集まる若いお客さんからの情報だ。外食好きの彼らに「最近、どこか良かった?」と尋ねると、いろいろ教えてくれる。 それを元に先日、思い切って流行の店に行ってみたのだった。 きっかけは、名古屋にやってくるあるインポーターの方から「ボクモワイン×インポーターで、今後の展開の打ち合わせをしませんか?」と誘われたため。 せっかくだから流行りの店でご飯を食べながら打ち合わせをしようと思い、いつもより早めに原稿を片付けた(いつもこうすれば、もっと飲食店に行けるんじゃないの?←正論)。 予約した店は、予想どおり若者だらけ。後ずさりするほどのスタイリッシュさで、とんでもない金額がインテリアに投じられていることがうかがえた。 しかし、僕が何より驚いたのは、店内の暗さだ。 もう、圧倒的に暗いのだ。 まずメニューが読めない。テーブルにあるライトを近づけてもギリギリ。もっと大きな字で書いておくれ。 そして、暗すぎて、運ばれてきた料理もワインも色がまったくわからず。何を口に運んでいるのかわからないのだ。 食べながら、これ何だっけ?と考えて、頼んだ料理をメニューで確認しようと思ったが、またライトを近づけて小さな字を見るのが面倒で、結局見ない。今、自分が何を食べているのか、本当にわからなかった。ワインの色もへったくれもない。 キャンプ用のヘッドライトを持ってくれば良かったぜ! ・・・と、僕は別に悪口を言っているわけではない。 だって、これでちゃんと流行っているんだから。それは実に素晴らしいことだと心から思う。 世の中は、自分の価値観だけでは成立しているわけではまったくない。自分が勝手にどうかな?と思ったやり方だったとしても、お客さんからの需要さえあれば、当然やっていける。誰かのイマイチは、別の誰かのイケてる。世の中そんなことだらけだ。 そしてこういう体験が、僕の勇気に繋がる。 たとえ今週はヒマだなあと思っても、アイデアを出して改善したら、来週は「お客さんの需要があるゾーン」にたどり着けるかもしれない。リーチできていないところに、まだまだお客さんはいるはずなのだから。 飲食だって、通販だって、ひと工夫で未来が変わる。それが楽しいのだ。 店は暗くても、先は明るい。そんなことを感じた一夜だった。