ソムリエ岩須(いわす)のブログ

海を渡った日本人

今日はちょっとお知らせです。 その前に、ニュージーランドに住んでいる日本人ってどれくらいいるかご存じでしょうか? 外務省のデータによるとおよそ2万人です(2021年)。けっこうたくさんいるんだと感じる人も多いのではないでしょうか。 ニュージーランドは人口500万人の国なので、0.4%が日本人という計算になります(ちなみにこの割合は、日本に住むベトナム人の割合とだいたい同じです)。 僕の従兄弟ファミリーもあちらに住んでもう長いです。 四季があるけれど夏は暑くない。手つかずの自然だらけ。何と言ってもワインが美味しい!日本人にとって住みやすい国なんだろうなと思います。 そして、けっこうたくさんいるんだ、と言えば、ニュージーランドでワインをつくっている日本人です。 僕が把握しているだけでも、岡田 岳樹さん(フォリウム)、木村 滋久さん・美恵子さん夫妻(キムラセラーズ)、楠田 浩之さん(クスダワインズ)、小山 浩平さん(グリーンソングス)、小山 竜宇さん(タカケイワインズ)、佐藤 嘉晃さん・恭子さん夫妻(サトウワインズ)、寺口信生さん(MUTU睦)、中野 雄揮さん(久能ワインズ)。それからワイナリー経営も含めると、大沢泰造さん(大沢ワインズ)。 10人以上います。 ニュージーランドは、小さな資本で起業しやすい国で、自国を盛り上げてくれるなら、外国人の起業もウェルカムなムードがあると言います。 そして、外国人にも門戸を開いている「リンカーン大学」が、ぶどう栽培やワイン醸造についてしっかり学べる環境を整えているというのも、日本人のワインメーカーが多い理由だと言われてます。 とは言え、です。 実際に、海を渡ってワインをつくろうと決断する。そして実行する。これは並大抵のパワーじゃないことは容易に想像がつきます。 そして、彼らが生み出すワインが、これまたすごいのです。 どれもそれぞれの土地の個性を活かしたワインにちゃんとなっている。おしなべて品質が高いです。 やっぱり日本人は勉強熱心で勤勉なんだな、そしてニュージーランドはワインづくりに向いている条件が揃っているんだな、とワインから感じます。 その中でも、僕のお気に入りと言えば「キムラセラーズ」です。ソーヴィニヨン・ブランは、和の柑橘を感じます。ピノ・ノワールは、力強くて奥行きがあります。 価格は安くはないですが、夫婦二人がつくった素晴らしいハンドメイドワインと考えると、決して高くはないでしょう。 ボクモワインでもリピーターが多く、やっぱり美味しいものはちゃんと伝わるんだなと感じています。 そして、ここから重要。 そのキムラセラーズの木村滋久さん、久しぶりにボクモに登場!します! 前にお店に来ていただいたのはコロナ前。今回は4年ぶり?くらいのご来店です。通常営業の中で、木村さんのお話を聞く時間をつくって、キムラセラーズのワインをグラスで楽しんで頂こうと思います。 ご来店予定は、2月9日(金)です。...

昨日と違う店

新しく何かをはじめることが億劫になっている自分がいます。 昨日と同じ今日が良い。どこかでそう思ってしまっています。 年をとると、脳の機能が下がる。環境の変化に対応する能力が落ちる。それが普通の人間がたどる道。そう聞いたことがあります。 そして、「昨日と同じ店」って、価値があるように錯覚しがちです。 あの店の、あの味、あの雰囲気。 それが良いよね、と思う人は、次もその体験をしたいと思い、店を利用します。しかし、その「同じを求めるリピーター」だけでなり立つ店はごくわずかです。 残念なことに、人間の脳には「飽きる」という機能がついています。より楽しいことを求めるようにできています。 だから、「昨日と同じ店」は「昨日と同じ楽しさしか提供できない店」なのです。ちょっと言い方は強めですが。 店は、もっと楽しい、もっと美味しい、を提供し続けなければいけない宿命にあります。 なのに、店の中の人である僕の脳は、毎日ちょっとずつ老化している。 いかん! ストップ老化。刺激を入れなければ。老化に抗うことが、脳と店の活性化に繋がるのだ。 そう思って今週これをやりました。 「ボクモ×獬(シエ) ニュージーランドワインとジビエ料理の饗宴」 いつものボクモではない料理の数々を、いつもよりグレードアップしたニュージーランドワインといっしょに。 伏見のジビエ料理店「獬(シエ)」の酒井さんを招いて、ボクモの古園シェフとのWシェフ体制でお料理を楽しんでいただきました。 ペアリングを考え、当日の段取りを考えて、脳にびんびんと刺激を送りました。 参加してくださった方からは、「お盆と正月がいっぺんにきた食事会だった」と言っていただきました。皆さんの脳にも非日常体験という刺激が伝わったようでよかったです。 個人的にはもうちょっとああすれば良かったなという点がいくつかありましたが、これもまた脳への刺激。次はもっと良くするぞ、という気持ちが盛り上がってきています。 次回は春頃かな。また刺激的なやつ、やります。 ちなみに最近、妻がチョコザップに行き始めました。定期的な運動は、脳の老化を防ぐのに役立つらしいですね。 ボクモ負けてられん!

兄のシャツ

大人になると、自分が弟であることを忘れているときが多いです。 ボクモスタッフの中では年長者(断トツおっさん)だし、ボクモのカウンターにいらっしゃる方も年下の割合が多い。通販のボクモワインはほぼ同世代の集まりです。 実質、僕が弟らしい弟、自他共に認める紛れもない弟だったのは、実家にいた20歳まで。 その後、ラジオ局で学生ADをやりはじめたころは、最年少スタッフだったので、「おい、ナオキ!」とか呼ばれて、まだかろうじて弟っぽさはありました。 しかし、年下の人が多くなり、「岩須さん」と呼ばれることが増えていくと、甘えん坊ではいられなくなってきます。 苦手ながらもちょっとずつ脱・弟化していき、「これが大人ってやつかな」という像を演じるようになりました。 そして、いつしか自分のキャラクターとして体に馴染んでいき、実家暮らしの甘い僕ちゃんからは遠ざかっていきました。 今では「岩須さん末っ子なんですか?そうは見えなかった」と言われるほど、弟色を薄めることに成功していると思います。成功って、別に薄めたかったわけじゃないんだけれど。揉まれて自然とそうなった感じなので。 しかし先日、ああ、やぱり僕は弟なんだ、と思う出来事がありました。 兄がシャツを送ってきたのです。 今年の正月に会えなかったこともあり、兄夫妻は年始の挨拶にと、東京の珍しくて美味しいお菓子を送ってくれました。その箱になぜかギンガムチェックの可愛らしいコットンシャツ(男物)も入っていたのです。 衣類を送ってくるなんて珍しい。いや初めてじゃないか。 どんな意図?と思ってLINEしてみたところ、こんな返事が。 「洗って縮んじゃったのよねー。ほとんど着てないので、もし好みならと思って、菓子の緩衝材代わりに入れてみた。着なかったら処分して。」 ほほう!お下がりとな! 思い返すと、うちは裕福な家庭ではなかったけれど、親から兄のお下がりを着させられた記憶はあんまりありません。 きっと母親は、昔自分がお古を着させられて嫌だったから、僕にはそうしなかったんじゃないかと思います。 おそらく幼い僕もお下がりを嫌がったことがあるのでしょう。 でも、おっさんになった今、お下がりの受け止め方は、大いに変わった。というか、変わったことを、このシャツで知りました。 兄弟げんかをしていた子どもの頃。 あんまり連絡をしなくなった青春期。 お互いに家庭を持って、たまにいっしょにワインを飲むようになった今。 そんな変遷を経て、兄弟はおっさんとなりました。 そしてシャツに袖を通して、思わず笑いました。 「兄のお下がりを着るって、めっちゃ弟やん!!」 ああそう言えば、僕は弟だった。 シャツが、僕を長らく離れていたホームポジションに戻してくれた。懐かしい自分に再会した気分。 そうだ。東京へこのシャツを着ていって、兄とサシで飲もう。うん、それがいい。きっと弟にもっと浸れる。 そして奢ってもらうとしよう(弟の発想)。

風邪の特効薬

あ、やばい。風邪、引きそうだ。 そう感じるとき、ありますよね? 若い頃は1年に2〜3回は風邪を引いていた気がします。 でも、ここ10年で寝込んだのは数えるほど。ワインを常飲し、ポリフェノールをせっせと摂取しているおかげかもしれません。 人生を重ねると、風邪を引きそうなとき、対処法がわかってきます。若い頃は、予兆を感じても、なすすべなく風邪を引いていたので、寝込む回数が多かったように思います。 しかし、若い頃よりは多少経験値を積んだ私は、やばいぞ、と思ったらこうすればセーフ、という自分だけの方法を発見済みなのです。 それは・・・ 「牛肉をたくさん食べる」です。 普段、僕はあまり牛肉は食べません。豚&鶏、ときどきラムです。 ちょっと寒気がするぞ。これはまずい。そうなったときに、牛肉をいっぱい食べます。そして、葛根湯を飲んで寝ます。 すると、だいたい良くなります。 体が、普段あまり入ってこない牛肉が大量に入ってくると、やる気になるんだと思います。たぶん。 だから、僕にとっては牛肉は薬。 思いっきり個人的な民間療法ですが(本当は葛根湯のおかげだとは薄々気付いていますが)、牛肉を食べると寝込まずにすむんだ、という過去の成功体験から、思い込みを信じています。信じる者は救われる。 昨朝起きると、体がだるく、ぶるっと寒気が来ました。 冷蔵庫に牛肉はなく、スーパーに行く時間もなかったので、牛丼チェーン店に駆け込みました。 仕事が終わって帰宅するときにももう一度寄りました。米は重いので牛皿で。そして、葛根湯を飲んで寝たら、今日はだいぶ回復しております。 よし、このあともう一度牛肉を食べてから出勤だ(あ、もちろん野菜などもちゃんと食べてます)。 ボクモのお客さまの中にも体調を崩されている方、よく聞きます。 「ご自愛」とはよく言ったものですね。自分の体を愛するマイルールで、ぜひご自愛ください。   さて、ここからはイベントのお知らせ。元気があれば、イベントも楽しめる。イベントに参加すると、普段と違う刺激が脳に伝わり、体も元気になる!   ボクモ × 獬(シエ) ニュージーランドワインとジビエ料理の饗宴 2024年1月24日(水) 18:30 オープン 19:00...

苦いワイン

  4年前、輪島の朝市に行きました。 良いところだったなあ。海鮮丼を食べたり、おばちゃんが目の前で名入れをやってくれる漆塗りの箸を買ったりしました。活気があって、港町に生きる人たちの力に触れた感じがしました。 その朝市が、元日の震災でまるっきり焼けてしまいました。 そして、その焼ける様子を僕は見ていました。たまたまネットで見つけた輪島朝市の定点カメラで、火災の様子をリアルタイムで見ていたのです。 夜の闇の中で炎は残酷にも広がり、なんども爆発が起きました。気になって夜起き、明け方起き、映像を見る。まだ燃えている。ようやく鎮火したのは翌朝。東京ドームより広いくらいの範囲が焼失してしまったそうです。 辛い。 あの人々がどうか巻き添えになっていませんように。なるべく多くの命が助かっていますように。力がまた沸いてきますように。 そんなことを書いている今。 我々の日常は流れ、普段の生活があります。ボクモの通常営業が始まり、ボクモワインの出荷が始まっています。 目の前にあるワインを見て、なんだか口の中に苦みを感じます。 苦しい人を思い浮かべながら飲むワインは苦い。 こういうときにやれることって、なんだろうな。震災が来るたびに考えますが、いつも答えはわかりません。 結局、自分が手を伸ばせる範囲で何かをして自分を落ち着かせることくらい。 賑やかな朝市の光景、あそこで過ごした楽しい記憶を浮かべながら、少しの寄付をする。それを日常を過ごす免罪符にしてしまっています。 なんとなく過ごす毎日が、実は災難と隣り合わせであることを改めて突きつけられた正月となりました。 さて、いったんCMです。 〜ボクモは来週から新メニュー開始!〜 〜1/24(水)のNZワイン×ジビエ料理のコラボディナー応募受付中!〜 〜ボクモワインの福袋、お得だよ〜 CM終わり。 それではここからは、ちょっと面白いデータの話を。 面白いと感じているのは僕とシェフだけかもしれませんが、年末にボクモで最も人気なメニューは何か、POSデータをさらってみて、シェフとふたりでへえ!となりました。 その結果は・・・ ドリンクメニューの人気第1位 「ソーヴィニヨン・ブラン(グラスワイン)」 2023年1年間で1,139杯出ていました。これは予想通り。やっぱり人気者。このワインは圧倒的な個性ですもんね。 特にグラスでは、特有のグレープフルーツやパッションフルーツの香りが強烈に出ているものを厳選していて、リピートも多数いただいています。 席に座ったらまずソーヴィニヨン。そんなお客さまに支えられて堂々ドリンク部門首位。  ...

驚きと暖かさ

「ケーキの持ち込みって大丈夫ですか?」 たまにあります。 断るお店もけっこう多いみたいですが、ボクモはご予約時に申し出ていただければ、基本OKとしています。 先日、若い女性のお客さまが開店直後にひとりでいらっしゃいました。 「あの、電話でお願いしていた者です。今日、ケーキの持ち込み、すみませんがよろしくお願いします。冷蔵庫に入れていただいても良いですか?」 そう言って、スタッフにケーキの入った箱を渡すと、いったん退店。 そして、予約の時間になると、同じ年くらいの男子といっしょに入店されました。 お食事の終盤、彼女はお手洗いに立ち上がり、厨房に合図。 そして、「お誕生日おめでとうございます!」とスタッフがケーキを持っていくと、満面の笑みで彼氏に「おめでとう」と言って拍手をしました。 その姿、本当に可愛らしかった。 ただ、男子!もうちょっと嬉しそうなリアクションしてよ、と思っちゃったな。 だって、そのケーキ、彼女の手作りなんですよ。前日から準備して、わざわざ彼氏よりも先に店にケーキを届けて、そして満を持してのサプライズ。 ハグとまでは言いませんが、なんか、もうちょっと嬉しさを体で表現しないと彼女の愛情に釣り合わないんじゃないの。 まあ、いきなりの展開に反応できずに、固まっちゃったのかな。そう考えたら、コチコチ男子もまあまあ可愛いですね。 いずれにせよ、その空間はとても暖かかった。 その温度が隣の席へ、店全体へと広がった気がしました。 そして、改めて思いました。 「ああ、本当にコロナ禍、明けたんだな。」と。 あのときは、手作りのケーキを飲食店で渡すサプライズなど、まずできなかったもんな。 前にも書きましたが、僕らはコロナが5類になった5月から、ようやく飲食店の復活劇がはじまるかと手ぐすねを引いていました。 が、結果は惨敗でした。特に9月や10月のボクモは、かなりピンチでした。お客さんが来ない毎日に、「ああ、この仕事はもう必要のない仕事になってしまったのかな」と落ち込んでいました。 しかし、12月。一気に忙しくなりました。 あのサプライズのカップルをはじめ、お初ボクモの方がかなり多かった。久しぶりの方にもいっぱい会えました。常連さんがちょっと遠慮するくらいの盛況ぶりでした(常連さんすみません)。 この12月は、来年に繋がる希望を頂きました。お越し頂いた皆さん、本当にありがとうございました。 やはり需要がある仕事ができているという実感は、なにものにも代えがたい。 それを改めて思い知った年末となりました。 苦しい時期もなんとか乗り越えられたのは、シェフのおかげです。腐らずにいっしょに走り続けてくれてありがとう、ありがとう。スタッフのみんな、とても頼もしいです。来年も頼みます。 そして、通販のボクモワインも、おかげさまでこの12月は過去最多のご注文を頂きました。ああよかった。 スタッフ佐藤さん、たくさんの出荷作業お疲れ様でした。 お届けしたそれぞれのお宅で、テーブルに置かれた美味しいニュージーランドワインを囲んで乾杯している絵を想像すると、やっぱりニヤけてしまいます。...

コラボレーション

「コラボレーション」というカタカナ語について。 1990年代以前の日本では、コラボレーションは、主に芸術の分野で使われていたらしい。 複数の芸術家による合作とか、合同展示とか。アート界隈の限られた人たちが使う用語だったそうな。 その後、経営・情報の分野での共同作業もコラボレーションと呼ぶようになり、今ではごく一般的に「いっしょにやること」を指すようになった。 最初は違和感のあった「コラボ」という略称も、今では浸透しきっている。 「意外なコラボ」とか、かなりよく耳にする。 あっちでコラボ、こっちでコラボ。 その背景には、あらゆるジャンルで先端化が進んで、もはや「真新しいアイデアなどない」時代になってきたことがあると思う。 そして、「新しさとは、古い何かと何かの掛け合わせに過ぎない」とみんなが知るようになった。 だから他者と共同で何かをやることで化学反応を起こしたい。ベン図の重なったところに、新しい色を見つけたい。 そんな流れでコラボレーションという言葉がよく使われるようになったのではなかろうか。 ボクモがはじまった2009年、コラボレーションという言葉はそれほど一般的でなかった気もするが、ボクモは、最初から共同して発表するという機能を持ってオープンした。 僕がつくりたかったのはだたの飲食の場ではなく、色んなイベントをのっけられる箱。今でいう、コラボしやすい箱。 30代から飲食の世界に入った、遅れてきたヤツでも、他ジャンルとの化学反応の面白さがあれば、なんとかやれるんじゃないか。そんなことを思って、たくさんイベントをやった。 ミュージシャン × ボクモ 大学の先生 × ボクモ 文化人 × ボクモ 朗読 × ボクモ マジック × ボクモ 合コン...

貸し切りは条件つきで

ボクモは、ちょっと前まで貸し切りはやらない主義だった。 なぜかというと、以前やったときにだいぶ大変な思いをしたから。 2009年の開店からしばらくの間、ボクモは今よりずっとカジュアルなスタイルだった。 ワインの量り売りや、マグナムボトル半額デー、クラフトビールの飲み放題フェアなんかもよくやっていた。 そこにライブイベントやトークイベントものっけて、ごちゃごちゃでミックスカルチャー的なスタイルだったのが初期のボクモ。 今よりカジュアルな価格設定で、気軽に使える感じが売りだった。 そういうイメージの店で貸し切りをやるとどうなるか。 もちろん、終始にこやかに、お客さんも幹事さんも店もみんなハッピー、という会もあった。むしろそういう会の方が多かった。 が、そうでない残念会もあった。 起きて欲しくないことが起きると、ダメージがけっこう大きかった。 備品は保険に入っているのでまだなんとかなるけれど、スタッフと僕の心がね。 どんな悲劇が起きたのか詳細は書かないが、まあだいたいお察しのとおり。 あのときのやらかされた光景を見て僕は学習した。 「自分が積極的に選んでいない店(連れてこられた店)では、その店にとって好ましくない本性が出てしまう人がいる」と。 そしてボクモは貸し切り営業をやめた。 貸し切りならば準備しやすいし、売り上げも作りやすい。それでも、他に大事にすべきことを優先した。 その後、コロナが来た。 あの時期、飲食店のあり方についていっぱい考えた。 そして貸し切りに関して思ったのは、「貸し切り営業でお客さんがやらかすのは、店のムードによるところもあるかもしれない」ということ。 こんなことを言っては身も蓋もないが、気軽な店ほど、軽く扱われるリスクがある。「ナメてもいい」店のナリが、やらかしを誘発している面もあるのではないか。 いやね、違うんです、普通に楽しく過ごしてくださる方が大半なのですよ。でも、何回も言うけど、僕たちって1回のやらかしダメージが割とぐさっと残るのよね。 そのダメージ回避のためには、僕らが自らのポジショニングを変えれば良い。気軽ゾーンから撤退して、もうちょっと大人の飲み方が似合う店になったら、やらかされリスクが減るのでは。 そういう思いもあって、あれこれリニューアルして、今のボクモになったのです(実際はボクモが変わった理由は他にもたくさんあるのだけれど)。 そしてようやくコロナが明けた今、あのデンジャラスな貸し切りをどう捉えるか。 考えた結果、今のボクモは「条件つき」で貸し切りに対応している。 その条件とは、「ボクモのことを好きでいてくれる方からの依頼かどうか」。 偉そうですみません。何様だよとの誹りは甘んじて受けます。でも14年やってきて、これが今の最適解かなと。 その貸し切り会の後も、お客さまとお店が良い関係でいられることを僕らは望んでいるので。 そして今週、コロナ明けで初めて貸し切りの会をやっていただいた。 お世話になっているワインのインポーターさんの忘年会だった。お酒業界の方は飲み方がとても綺麗。支店長さんのスピーチも素晴らしかった。...

佐世保に行く理由

人生には旅が必要だということはよくわかっている。 今年は9月に長野の上高地に行って、やはり旅は良い、と実感した。 しかし、日常生活に戻ると、家と職場の行き来の繰り返し。 店、通販、ラジオ。仕事は永遠に片付かないし、隙間を作る余裕もない。 旅に行った直後は「日々を豊かにするためにも、また旅に行こう」と思ったあの気持ちが、いとも簡単にしぼんでいるのに気付いて、なんだかがっかりしてしまう。 やはり「よし、行かねばならぬ」という強い気持ちが生まれてこないと、このヘビー級の腰は動かないな、と。 もちろん、ニュージーランドには早く行きたい。現地のワイナリーをひとつでも多く見て回りたい。 ただ、それにはまとまった休みが必要になる。店をコロナからの回復軌道に乗せるのにはもう少し時間がかかるので(夜の飲食店、皆さんが思っているよりも回復していないのですよ)、少し先になるだろう。 では、近場で「行かねばならぬ」、何かないものか。 そう思っていたところ、昨日のカウンターでちょっと面白いことがあった。 オープン直後にやってきたのは一人の男性。 「この店に来たかったんです」と言って、自分のことを喋ってくれた。 去年まで12年間、ニュージーランドで料理人をやっていて、日本に戻ってきた。地元は名古屋。 今、奥さんの実家のある長崎の佐世保で、飲食店を開業する準備をしている。 店では大好きなニュージーランドワインを出したい。どうしたら手に入るのか知り合いに相談したら、通販のボクモワインの存在を教えてくれた。 調べたら、名古屋にボクモというワインバーがある。これは、どんな店か調査せねば。インスパイアを受けたい。 そんな動機で来店したとのこと。 もちろん話が弾まないわけはない。 シェフ渾身の新作ラムバーグ&赤ワインのペアリングも楽しんでもらいながら、話題は、食材、仕入れ、フード・ドリンク比率、内装など、あっちこっちに広がった。 そして、僕が知っている限りのニュージーランドワイン界隈の情報をお伝えした。 開業する店は、ボクモの2/3くらいの大きさで、手打ちパスタがメインの店になるそう。ニュージーランド料理、とは謳わずに、ニュージーランドに住んでいたシェフがつくる、独自の美味しいもの、みたいな感じ。 ターゲットは米兵さん半分、地元の人半分のイメージ。夜だけじゃなくランチもやる。佐世保バーガーはやらない。 話しているうちに、開業する前のあのドキドキわくわくの感じを思い出してきた。やることだらけで大変だけど、頑張って欲しい。そして、ニュージーランドワインで繋がったご縁、大事にしたいと思った。 途中から隣の席に、韓国から名古屋に観光で来たカップルが座った。 そのカップルは半年ぶりのボクモで、二人とも日本への留学経験があって、日本語が上手。 ワインとラム肉が大好きで、ネットで調べて来てくれたのが半年前。今回が2回目の名古屋で、2回目のボクモ。選んでくれてありがたいです。 「長崎に行ったことはありますか?」 「ないけど行ってみたいですね」 そんな会話から盛り上がり、調べたらソウルから長崎は直行便が出ていることが判明。 「じゃあ私たち、店がオープンしたら行きますね!」...

情報量が多すぎる日

人生には、情報量が多すぎる日がある。 上手な人は、その情報をひとつひとつ仕訳して、折りたたんで、自分の中の収納スペースに綺麗に納めるのだろう。 でも、僕はド下手だ。 目の前に山盛りになった情報を、ああ、量が多いなあと眺めて突っ立っている。そして、山にちょっと手をつっこんで、ごにょごにょ丸めるも、まったく片付かない。 あの日に自分に起きたこと、そしてそこから湧き上がった感情を上手に片付けることが、今も出来ないのだ。 それは先週の土曜日。 大学時代に所属していたサークル「SBF中日本学生放送連盟」の70周年の記念パーティーがあった。 その日の膨大な情報からちょっとだけ抜き出し、ごにょごにょと丸めてみることにする。 乾杯の発声は、86歳の大先輩の女性だった。 「それぞれの立場で、今の社会をしっかり見ましょうね。社会に参加し続けましょう。乾杯!」 うわあ、とその言葉の力に圧倒された。 大先輩の時代は、メディア黎明期。放送とは何か。社会の中でどういう役割を果たせばよいのか。連盟室(サークルの拠点の部屋)で、そんなことを話していた世代なのだろう。 僕らはと言えば、イデオロギーのイの字もない活動だった。夜な夜なマリオカートをやり、たまにイントロクイズを作ったりしていた。 お恥ずかしい、とも思いつつ、それが僕らの世代だ、と開き直る気持ちもある。 共通しているのは、あの連盟室で青春時代を過ごしたこと。その事実が、目の前の立派な先輩と僕らを繋いでいる。 それぞれ、青春をあの場で過ごしたことが胸に刻まれている。そして、その場が今も存続していることを嬉しく思っている。 そんな人たちがそれぞれの人生のステージで、この会のために時間を割き、今この瞬間集まっている。 現役生たちはみずみずしく、見ていて気持ちが良いし、プロのアナウンサーの司会進行はさすがに素晴らしい。 最後に全員で合唱したサークルの歌は懐かしすぎたし、OB会長は感極まってむせび泣いている。 情報が多い! パーティーの二次会は、我が店ボクモで(正確にはもう1軒途中で挟んでいるので三次会なのだけれど)。 パーティーには出ずボクモから参加の面々も合流し、合計20人以上が狭い店内にぎっちり。みんな学生時代に戻ったテンションで、それはそれは盛り上がった(静かなボクモを期待していらっしゃった他のお客さま、本当に申し訳ありませんでした)。 近況報告をしたり、懐かしい写真を見たり、昔みんなが書いていた呆騒録という名の連絡ノートを回し読みしたり。 久しぶりに会った先輩に言われた。 「岩須くんのブログ、読んでるよ。あれさあ、いつも伏線をちゃんと回収してるね。」 ・・・わ、嬉しいけれど、恥ずかしい! でも、あの、、、これ、伏線を回収するぜ、と勇んで書いているわけじゃないんです。 前段があり、その後、書きたいストーリーを点と点を線で繋ぐ。最後に、前段を踏まえた結論めいたことを書く。 長いことラジオの原稿を書いていると、そんな自分の型みたいなもんができていて、そのフォーマットが楽だからこのブログでも使い回している。そんな感じなのです。 そもそもそんなに綺麗に回収できてることって滅多にないし。...

嬉しいうっかり

先週の土曜日。 開店直後、マスク姿のひとりの男性がドアを開けました。 そして店内をキョロキョロ。ちょっとあやしいかも? 「あの、今日って、、、」 その言葉を聞いて、昔の記憶が瞬時に蘇りました。 もしかして、Tくん? 僕がそう言うと、彼はマスクを外しました。 ああ、やっぱり大学のサークルの同期Tくんだ。 たぶん会うのは卒業以来。26年ぶりかな。 「あの、今日って、あるよね?」 え?何が? 「何って、70周年の二次会。」 ??? それって、来週だよ。 「え・・・しまった、やってもうた!」 翌週、サークルの70周年パーティーがお昼に名古屋のホテルで行われます。その後、ボクモに何人かが集まって二次会をやってくれることになっているのでした。 聞けば、彼はパーティーには不参加で、二次会から合流するつもりでボクモにやってきたそう。 しかし、痛恨の1週勘違いのミス。「しまったー!」を連発していました。 結局、「三重からせっかく出てきたから、ちょっと飲んでいくよ」となりました。 学生時代にマンツーマンでじっくり話したことなんてなかったかも知れないな、と思いながら、カウンターで近況トークに花を咲かせました。 仕事のこと、家庭のこと。これからのこと。色々話し、学生時代から枝分かれて、お互いずいぶん遠くまで来たなあと実感しました。 しばらくすると、彼は愛知県にいる同期のひとりNくんに連絡。ボクモにいるから来てよ、と誘ったところ、フットワークの軽いNくんは、その40分後、「もう、なんで間違えるかなあ」と笑いながら店に入ってきました。 そこからは3人の同窓会。結局閉店間際まで盛り上がりました。いやあ、楽しかった。 彼がうっかりしてくれたおかげで、図らずも濃密なおっさんトークができました。 これが、同期や先輩後輩がいっぱいいる翌週ならば、こんなにたくさん話すことはまず出来なかったでしょう。 しかしちょっと気になったのは、Tくんはその日、「名古屋で大事な用事がある」と奥さんを説得してはるばる名古屋までやってきたこと。共働きでお子さんも小さいので、そりゃ当然か。 が、問題は、Tくん、果たして奥さんに勘違いしていたことを白状するのかどうか。 もし白状したとして、翌週の本来の会にまた参加することを許してもらえるのかどうか。 帰り際、僕とNくんは、「また来週ね!」としつこく言ったのですが、Tくんは決して首を縦に振りませんでした。 働く妻と幼子を置いて、2週連続ひとりで名古屋に行くなんて、Tくんの家庭ではありえないことなのかもなあ。...

あれから10年

あの日から10年が経った。 久しぶりの同窓会は、お葬式だった。 10年前、高校の部活の仲間が突然亡くなったと連絡があり、僕は慌てて黒いネクタイと香典袋を買いに行った。 亡くなったのは、高校時代、軟式テニス部で僕とペアを組んでいた彼だった。 高校を出てからはたぶんほとんど会ったことがなかったと思う。その他の部活のメンバーも、個々で会うことがあっても、みんなが揃うことはなかった。 ずいぶん久々に会う彼は、安らかな顔をしていた。そしてまだ38歳だったが、だいぶ禿げていた。 部室で 「誰がいちばん早く禿げるんだろうな。」 「お前じゃない?」 「いや、俺もだけど、お前もやばいだろう!」 皆でそんな話をしたことを思い出した。 そして、彼はぶっちぎりでいちばん早く禿げて、棺に横たわっていた。 おいおい、あの日の答え合わせがこんな形って、悲しすぎるだろう。 いよいよヤバくなってきたぞ、とか、ケアどうしてる?とか笑いながら話したかった。 あっちに行くにはぶっちぎりで早すぎる。 予期せぬ部活同窓会の二次会は、葬儀場の近くのファミレスだった。 お酒もない、静かで重たい会だった。 帰り際、メンバーの中からこんな声が出た。 「俺たち、年に一回くらいは会わないとな。」 みんな口々に、そうだな、会おうと言った。 あれから10年。 年一の会は、続いている。言い出しっぺの友人が、毎年部活メンバーに連絡してまとめてくれているおかげだ。 お墓にお参りしてから、亡くなった彼の実家にお邪魔して、お母さんと話す。 そしてご飯を食べて、他愛ない話をする。明るい会だ。 テニスコートや部室で過ごしたあの濃密な頃とは違うけれど、年に一度の定点観測で、ゆるやかだけれど強い繋がりを持てている実感がある。 彼が去ってからの10年は、僕らの繋がりが強くなる10年になった。 今年は墓参りの前日にボクモに集合してくれて、みんなでワインを飲んだ。嬉しかったな。 高校のときは、こんな未来があるとはまったく思わなかったよ。寂しいけれど、ありがとう。そんな気持ちに毎年なります。 ちなみに今回のハイライトは、数年前にこの会で「俺、YouTuberになる」と宣言した友人。 思いもよらぬ方向に行ったもんだ、と思ったけれど、今年、「ちょっと見てよ」と持って来たものにたまげた。...

ヴィンテージって何でしょう?

ども、2時間ほどしゃがんで草むしりをしたら、翌日とその次の日と、さらに次の日(今日)、股関節の筋肉痛がずっとやばい岩須です。 運動不足。残念。 唐突に運動したせいで、筋肉がびっくりしております。 さて、唐突ついでに、みなさんに唐突に質問してみます。 「ヴィンテージって何でしょう?」 ・・・はいはい。 すぐに挙手してくださった方は、首までワインに浸かっている方ですね。わかりました、いったん手を下ろしてください。 全人口のほとんどを占める非ワインな皆さんは、「ヴィンテージ」っていう言葉、どんなイメージを持ちますか? あー、なるほど。 「古くて価値がある」ですね。 そうなりますよね。 ヴィンタージ・ギター、ヴィンテージ・カメラ、ヴィンテージ・カー。 みんなレトロでかっこよくて価値が高いイメージがありますね。 はいはい、ワインのプールで泳いでいる皆さん、もう黙っていられないですよね。「ちゃうわーい」と。 わかりました。お待たせしました。では、赤ら顔の皆さん、あなた方が思うヴィンテージの意味をどうぞ。せーの。 「ぶどうの収穫年」 はい、そうです。 ワインにおけるヴィンテージとは、「そのワインをつくるために育てられたぶどうが収穫された年」を指します。 だから、古いとか新しいとかはまったく関係ありません。 「同じワイナリーのヴィンテージ(=収穫年)違いのものが手に入ったから飲み比べてみようか。」 「このワイン、このところのヴィンテージ(=収穫年)でだいぶスタイルが変わったね。」 我々プール内のワインバカはそんなふうにヴィンテージという言葉を使います。 そもそも、ヴィンテージ(VINTAGE)というのは、ワイン用語がはじまりです。VINはWINE。TAGEはラテン語で取り去る。つまり、ぶどうを採る、が語源です。 採れたぶどうの出来がよい場合、その年のワインには価値がある、となります。 つまり、「出来が良かったヴィンテージ(=収穫年)のワイン」が価値が高いということから、ワイン以外のものにも「年代物で価値がある」と、転用されるようになったのです。 それを踏まえると。 「最新ヴィンテージ」 一見して妙なこの言葉が、我々ワインバカの界隈ではごく普通の言葉であることがおわかりいただけるかと思います。 今、日本で買えるワインの最新ヴィンテージは、白ワインだとどんなに最新でも2022年です。赤ワインだと2021年だったり、2020年だったり。 ワインは、ぶどうを収穫して、つぶして、発酵させて、熟成して、瓶詰めします。なかかな時間がかかります。特に赤は熟成期間が長めになりがちなので、白よりも出てくるのが遅いです。...