ソムリエ岩須(いわす)のブログ

ゼロから1

ゼロから1を作ることができる人を心から尊敬します。 僕はラジオの原稿を書く仕事をやっています。今のレギュラーは月に10本くらいなのですが、そのうちの9本は資料さえ揃えることができれば自動的に書ける原稿です(もちろん切り口などの工夫は必要ですが)。 しかし1本は、資料などまったく役に立たない、何もない状態から物語をつくる必要があるのです。 これが難しい。引き受けてから5年経ちますが、今でも締め切りが近づくたびに引き受けなきゃ良かったと毎回思います。 僕はウソをつくのが下手です。 でも、物語を書くということは、ウソをつかなければいけません。 物語は、最初から最後まで、部品すべてがウソです。そのウソの部品が上手く組み合わさるとマコトになります。 ウソをつき通すのには、精妙なロジックが必要です。つじつま合わせの才能が必要です。 僕にはこれが欠けているんだな、と毎月落ち込みます。 しかし、仕事は仕事。 この仕事がやってきたのは、神様に「好きなことばかりやっていないで、苦手なこともやりなさい」と言われているんだろうな。 確かに、苦手なことを克服することで得られる達成感はあります。 でも、達成にたどり着くまでの、モヤモヤしている時間が非常に長い。物語のゴールが見つかるまでの時間がしんどい。 想像力が豊かな人は、「あ、こんなテーマで書きたい」と思いついたら、ゴールに向けてすらすらウソが出てくるんだろうな。すごいな。もしかしたら作家って、普段から息を吐くようにウソついてるんじゃないの。詐欺とか不倫とかしまくりなんじゃないの。違うか。 僕にはそれができない。ひとつのウソをひねり出すのにも時間がかかるし、そのウソを補強するためのウソもとんと出てこない。 親は、僕が正直者になるように、名前に「直」を入れたらしい。ああ、岩須嘘紀だったらもっとスラスラ書けたはずなのに。 こんなくだらんことを書いているのは、もちろん、次の原稿を一行も書けてないからでござる。 逃走はやめて、観念せよ!俺! はい。ゼロを0.1くらいにする努力をします。 まずは、先人たちの素晴らしいウソを勉強するために、積ん読の小説を読もっかな(やはり逃走)。   (ちなみにこんなラジオドラマを書いています)

もしやり直せるなら

カウンターにいらっしゃった若いお客さんにこんなことを言われました。 「もし人生のある地点からやり直せるなら、いつに戻りたいですか?」 僕はうーんと考えてしまいました。 どんな人生であれ、多かれ少なかれ、後悔はあると思う。 立派な人だって、あのときなんであんなことをしちゃったんだろう、って思っている気がする。 大谷翔平ならば別かも知れないけれど。 でも、大谷翔平だって、自転車で夜道を走っているときに、過去のやらかしが突然頭に蘇ってきて、わーーと大声を上げて立ち漕ぎをした経験があるでしょう。 ないか。 ただ、そのとき思ったのは。 「もしやり直せるなら」という問いが、若い人からおっさんに向けて出るのって、なんか凄くないかということ。 その彼は、この春から就職し、東京に行くのだという。もしかしたら、おっさんの後悔ポイントを仕入れておいて、これから自分はそうならないように注意しようと思ったのかなあ。 きっと彼は社会に出るに当たって、今、人生について真剣に考えている時期なんだろうな。偉い。老成している。 自分が若いときは、おっさんがしまったと思っていることなんて、まったく興味がなかったです。目の前の自分ごとでいっぱいいっぱいで、年長者のすねの傷を他山の石にしようなんていうアイデアなんて思いつきもしなかった。 SNSで「人生何週目?」っていう言葉が流行ったり、ドラマ「ブラッシュアップライフ」でループ構造の世界観が話題になったりしましたが、若い人たちには、ああいうのの影響があるのかもな、と思ったりもしました。 今って、人生ってものを俯瞰して見て、自分が今人生のどのへんなのかをちゃんと認識できる人が多いのかも。 僕なんか、大学の頃なんて、目の前50センチくらいしか見てなかったなあ。 そして、僕はその「いつに戻りたいですか?」にこう答えました。 「大学を卒業するときです。」 僕はアホだった。あのとき、新卒というのが人生に一回きりで、学生にとって素晴らしく価値があるものだということを知らなかったのです。 就職活動のときに、ちゃんとその価値をわかっていたら、もうちょっとまともな道を選んでいたかも知れない。 しかし、あのときの僕は、バイトでやっているラジオの仕事が楽しくて仕方がなかった。目の前の50センチくらいしか見えていなかったので、まんまと就職活動をし忘れ、学生ADからフリーターADになりました。 そして、目の前の楽しそうなことを選択し続けて、飲食店にたどり着き、今に至ります。その結果、いまだに自転車で「なんであんなこと言ったんだ俺!」と叫んで立ち漕ぎをします。それも込みで楽しいなと思ってます。 どうやら人生を俯瞰するというスキルを身につけることなく、すくすく無邪気にアラフィフになってしまったようで。 こんな僕だから、もし大学のときに、新卒って価値があるんだよ、と教えてくれるおっさんがいて、その地点に戻ったとて・・・やはり、フリーターを選択していたかもな。そして、結局はこんな位置にたどり着いている気がする。 うまくまとまらないですが。 若い人よ。 目の前のやりたいことをやり続けたら、こんな感じになるという1サンプルの人生がここにあります。 俯瞰の材料に使ってもらえたら幸いです。

ソトは美味しい

外(ソト)で飲んだり食べたりするもの。あれ、なんであんなに美味しいんでしょうね。 例えば、キャンプでのバーベキュー。高くないお肉でも、多少焦げていても、たいへん美味しいです。 家のコンロで焼いて食べようなんてまず思わないけれど、焚き火で焼いたマシュマロって極上のスイーツになります。たまりません。 去年山に行ったとき、山小屋のテラス席で食べたなんの変哲もないカレーや、小雨の中で雨宿りしながら飲んだビール。あれも格別な味わいだったなあ。 やはり、ソトというシチュエーションが感じ方を大きく変えることは想像に難くないです。 では、ソトはウチと何が違うのか。 ソトには、日光がある。風がある。雨がある。川の流れる音が聞こえる。木では鳥が実をついばんでいる。地面の蟻は餌を運んでいる。 僕らはそれらの情報を五感で感じます。 すると、自分という存在も、この地球の中にいる生き物のひとつであることが認識しやすくなる。 と、僕は思うのです。 だから、いつもの壁と天井と床のあるウチよりも、飲む食べるという行為が「他の生き物と同じように、命を保つために行っている」感じがする。 そして、それがありがたく思える。 ありがたくいただくと、美味しく感じる。 こんな理屈で、ソト飲食は、素晴らしく美味しい体験になるんじゃないかな、と。 そしてソトで飲むワイン、これはまた格別です。 特にワインができる工程を見たことがあるならば、余計にそう思うのではないでしょうか。 今、目の前に一杯のワインがあるとします。 そして、僕は地面に立っています。その地面をたどった先には畑があります。その畑には、丁寧に育てられたぶどうがたわわに実っています。職人さんが、つやっつやのそのぶどうを潰して、上手に発酵させ、それから、上手に熟成させます。 そうやって、手元にやってきたのが、今、口にしているワインなのだ! ぶどうや職人さんたちと同じ、土の上に立ちながら、今、それを味わっているのだ! やあ、やあ、これはありがたい。素晴らしく美味しい体験だ。 実際は、いちいち飲むときにそこまで考えていないとしても、でもね、屋外で飲んでいるとき、僕らはどこかで自然との結びつきを感じていると思うのです。 さあ、もうすぐ暖かくなります。 そうなったら、ソト飲みをしよう。自然の一部に、たまには自分もなろう。 === ここからはCMです。 === 2024年3月30日(土)31(日)、ニュージーランドワイン専門店「ボクモワイン」は、お祭りにブース出展するよ! 場所は、名古屋が誇る桜の名所「鶴舞公園」の奏楽堂。 ZIP-FMが主催する、SAKURA...

木村滋久さん

「前から歩いてくるヤンキーに目は逸らすけれど、バンジージャンプは飛べるタイプ。」 木村さんはご自身のことをそう言っていました。 昨日、ニュージーランドのワインメイカー・木村滋久さんが4年ぶりにボクモにやってきました。 コロナをジャンプしての再会、嬉しかったです。 満席の店内で、お客さんに向けてご自身がつくるキムラセラーズのワインの話をたっぷりしていただきました。 終始丁寧な話しぶりで、ご自身のこだわりや思い、自社畑のオーガニック製法などについて詳しく聞くことが出来ました。 こんな機会はなかなかないと、遠くからはるばるいらっしゃった方も。みなさん、本人からお話を聞きながら飲むワインは格別だとおっしゃっていました。 それにしても、ホテルマン時代にワインをつくってみたいと思い立ち、夫婦でニュージーランドに移住して、大学で栽培と醸造を学び、そして大手ワイナリー勤務を経て独立。 なかなかそんな行動ができる人なんていないですよ。 僕がそう言ったら、木村さんは「僕は基本臆病者なんです。でも、思い切りは良い方なんです」と言い、冒頭の言葉が出てきたのでした。 なるほど。こういう性格の方が自分の思いを成し遂げるんだな。 まあ、僕だって昔は前からヤンキーが歩いてきたら、すれ違わないように曲がりたくない角を曲がるタイプではありました。 にしても、海外で農業をやるなんて、僕からすると度を超えた特大のバンジーです。 そしてワインについて知れば知るほど、そのバンジーの飛距離が途方もないことがわかるのです。 ワイン業界の端くれにいると、「自分もワインをつくってみたいな」という思いが頭をかすめることがなかったとは言えません。 でも、ワイナリーを訪れたり、こうして実際にワインをつくる方の話を聞くと「無理無理」と正気に戻ります。 毎日土にまみれて地道な作業の繰り返し。栽培や醸造について勉強すべきことは山ほどある。 常に自然の脅威と隣り合わせ。 丹精込めてつくったものの、思い通りのぶどうにならない、発酵が進まない、香りや色が出ない、余分な菌が入ってくる。そんなこともあるでしょう。 なのに、ぶどうは1年に1回しか収穫できない。どんなに凄いワインメーカーも年に1度ずつしか経験値は貯まらない。 ・・・難しすぎるだろう! だから、こうして素晴らしいワインをつくっている方が、もうそれはそれは神々しく、キラキラ輝いて見えるのです。 特に今回新入荷したドライ リースリング、相当良いです。リンゴのコンポートのような香り、ピュアな飲み口、そして余韻にミネラル感と塩味。たまりません。 ボクモワインでも数量限定で入荷していますので、気になった方はぜひ。 キムラセラーズのアイテムはこちら 最後に、ずっと気になっていた質問をしてみました。 「日本の甲州をニュージーランドに持っていったら、うまく育つと思いますか?」 すると、木村さんは 「余裕で育つと思います。きっと美味しいワインが出来ると思いますよ。」...

海を渡った日本人

今日はちょっとお知らせです。 その前に、ニュージーランドに住んでいる日本人ってどれくらいいるかご存じでしょうか? 外務省のデータによるとおよそ2万人です(2021年)。けっこうたくさんいるんだと感じる人も多いのではないでしょうか。 ニュージーランドは人口500万人の国なので、0.4%が日本人という計算になります(ちなみにこの割合は、日本に住むベトナム人の割合とだいたい同じです)。 僕の従兄弟ファミリーもあちらに住んでもう長いです。 四季があるけれど夏は暑くない。手つかずの自然だらけ。何と言ってもワインが美味しい!日本人にとって住みやすい国なんだろうなと思います。 そして、けっこうたくさんいるんだ、と言えば、ニュージーランドでワインをつくっている日本人です。 僕が把握しているだけでも、岡田 岳樹さん(フォリウム)、木村 滋久さん・美恵子さん夫妻(キムラセラーズ)、楠田 浩之さん(クスダワインズ)、小山 浩平さん(グリーンソングス)、小山 竜宇さん(タカケイワインズ)、佐藤 嘉晃さん・恭子さん夫妻(サトウワインズ)、寺口信生さん(MUTU睦)、中野 雄揮さん(久能ワインズ)。それからワイナリー経営も含めると、大沢泰造さん(大沢ワインズ)。 10人以上います。 ニュージーランドは、小さな資本で起業しやすい国で、自国を盛り上げてくれるなら、外国人の起業もウェルカムなムードがあると言います。 そして、外国人にも門戸を開いている「リンカーン大学」が、ぶどう栽培やワイン醸造についてしっかり学べる環境を整えているというのも、日本人のワインメーカーが多い理由だと言われてます。 とは言え、です。 実際に、海を渡ってワインをつくろうと決断する。そして実行する。これは並大抵のパワーじゃないことは容易に想像がつきます。 そして、彼らが生み出すワインが、これまたすごいのです。 どれもそれぞれの土地の個性を活かしたワインにちゃんとなっている。おしなべて品質が高いです。 やっぱり日本人は勉強熱心で勤勉なんだな、そしてニュージーランドはワインづくりに向いている条件が揃っているんだな、とワインから感じます。 その中でも、僕のお気に入りと言えば「キムラセラーズ」です。ソーヴィニヨン・ブランは、和の柑橘を感じます。ピノ・ノワールは、力強くて奥行きがあります。 価格は安くはないですが、夫婦二人がつくった素晴らしいハンドメイドワインと考えると、決して高くはないでしょう。 ボクモワインでもリピーターが多く、やっぱり美味しいものはちゃんと伝わるんだなと感じています。 そして、ここから重要。 そのキムラセラーズの木村滋久さん、久しぶりにボクモに登場!します! 前にお店に来ていただいたのはコロナ前。今回は4年ぶり?くらいのご来店です。通常営業の中で、木村さんのお話を聞く時間をつくって、キムラセラーズのワインをグラスで楽しんで頂こうと思います。 ご来店予定は、2月9日(金)です。...

昨日と違う店

新しく何かをはじめることが億劫になっている自分がいます。 昨日と同じ今日が良い。どこかでそう思ってしまっています。 年をとると、脳の機能が下がる。環境の変化に対応する能力が落ちる。それが普通の人間がたどる道。そう聞いたことがあります。 そして、「昨日と同じ店」って、価値があるように錯覚しがちです。 あの店の、あの味、あの雰囲気。 それが良いよね、と思う人は、次もその体験をしたいと思い、店を利用します。しかし、その「同じを求めるリピーター」だけでなり立つ店はごくわずかです。 残念なことに、人間の脳には「飽きる」という機能がついています。より楽しいことを求めるようにできています。 だから、「昨日と同じ店」は「昨日と同じ楽しさしか提供できない店」なのです。ちょっと言い方は強めですが。 店は、もっと楽しい、もっと美味しい、を提供し続けなければいけない宿命にあります。 なのに、店の中の人である僕の脳は、毎日ちょっとずつ老化している。 いかん! ストップ老化。刺激を入れなければ。老化に抗うことが、脳と店の活性化に繋がるのだ。 そう思って今週これをやりました。 「ボクモ×獬(シエ) ニュージーランドワインとジビエ料理の饗宴」 いつものボクモではない料理の数々を、いつもよりグレードアップしたニュージーランドワインといっしょに。 伏見のジビエ料理店「獬(シエ)」の酒井さんを招いて、ボクモの古園シェフとのWシェフ体制でお料理を楽しんでいただきました。 ペアリングを考え、当日の段取りを考えて、脳にびんびんと刺激を送りました。 参加してくださった方からは、「お盆と正月がいっぺんにきた食事会だった」と言っていただきました。皆さんの脳にも非日常体験という刺激が伝わったようでよかったです。 個人的にはもうちょっとああすれば良かったなという点がいくつかありましたが、これもまた脳への刺激。次はもっと良くするぞ、という気持ちが盛り上がってきています。 次回は春頃かな。また刺激的なやつ、やります。 ちなみに最近、妻がチョコザップに行き始めました。定期的な運動は、脳の老化を防ぐのに役立つらしいですね。 ボクモ負けてられん!

兄のシャツ

大人になると、自分が弟であることを忘れているときが多いです。 ボクモスタッフの中では年長者(断トツおっさん)だし、ボクモのカウンターにいらっしゃる方も年下の割合が多い。通販のボクモワインはほぼ同世代の集まりです。 実質、僕が弟らしい弟、自他共に認める紛れもない弟だったのは、実家にいた20歳まで。 その後、ラジオ局で学生ADをやりはじめたころは、最年少スタッフだったので、「おい、ナオキ!」とか呼ばれて、まだかろうじて弟っぽさはありました。 しかし、年下の人が多くなり、「岩須さん」と呼ばれることが増えていくと、甘えん坊ではいられなくなってきます。 苦手ながらもちょっとずつ脱・弟化していき、「これが大人ってやつかな」という像を演じるようになりました。 そして、いつしか自分のキャラクターとして体に馴染んでいき、実家暮らしの甘い僕ちゃんからは遠ざかっていきました。 今では「岩須さん末っ子なんですか?そうは見えなかった」と言われるほど、弟色を薄めることに成功していると思います。成功って、別に薄めたかったわけじゃないんだけれど。揉まれて自然とそうなった感じなので。 しかし先日、ああ、やぱり僕は弟なんだ、と思う出来事がありました。 兄がシャツを送ってきたのです。 今年の正月に会えなかったこともあり、兄夫妻は年始の挨拶にと、東京の珍しくて美味しいお菓子を送ってくれました。その箱になぜかギンガムチェックの可愛らしいコットンシャツ(男物)も入っていたのです。 衣類を送ってくるなんて珍しい。いや初めてじゃないか。 どんな意図?と思ってLINEしてみたところ、こんな返事が。 「洗って縮んじゃったのよねー。ほとんど着てないので、もし好みならと思って、菓子の緩衝材代わりに入れてみた。着なかったら処分して。」 ほほう!お下がりとな! 思い返すと、うちは裕福な家庭ではなかったけれど、親から兄のお下がりを着させられた記憶はあんまりありません。 きっと母親は、昔自分がお古を着させられて嫌だったから、僕にはそうしなかったんじゃないかと思います。 おそらく幼い僕もお下がりを嫌がったことがあるのでしょう。 でも、おっさんになった今、お下がりの受け止め方は、大いに変わった。というか、変わったことを、このシャツで知りました。 兄弟げんかをしていた子どもの頃。 あんまり連絡をしなくなった青春期。 お互いに家庭を持って、たまにいっしょにワインを飲むようになった今。 そんな変遷を経て、兄弟はおっさんとなりました。 そしてシャツに袖を通して、思わず笑いました。 「兄のお下がりを着るって、めっちゃ弟やん!!」 ああそう言えば、僕は弟だった。 シャツが、僕を長らく離れていたホームポジションに戻してくれた。懐かしい自分に再会した気分。 そうだ。東京へこのシャツを着ていって、兄とサシで飲もう。うん、それがいい。きっと弟にもっと浸れる。 そして奢ってもらうとしよう(弟の発想)。

風邪の特効薬

あ、やばい。風邪、引きそうだ。 そう感じるとき、ありますよね? 若い頃は1年に2〜3回は風邪を引いていた気がします。 でも、ここ10年で寝込んだのは数えるほど。ワインを常飲し、ポリフェノールをせっせと摂取しているおかげかもしれません。 人生を重ねると、風邪を引きそうなとき、対処法がわかってきます。若い頃は、予兆を感じても、なすすべなく風邪を引いていたので、寝込む回数が多かったように思います。 しかし、若い頃よりは多少経験値を積んだ私は、やばいぞ、と思ったらこうすればセーフ、という自分だけの方法を発見済みなのです。 それは・・・ 「牛肉をたくさん食べる」です。 普段、僕はあまり牛肉は食べません。豚&鶏、ときどきラムです。 ちょっと寒気がするぞ。これはまずい。そうなったときに、牛肉をいっぱい食べます。そして、葛根湯を飲んで寝ます。 すると、だいたい良くなります。 体が、普段あまり入ってこない牛肉が大量に入ってくると、やる気になるんだと思います。たぶん。 だから、僕にとっては牛肉は薬。 思いっきり個人的な民間療法ですが(本当は葛根湯のおかげだとは薄々気付いていますが)、牛肉を食べると寝込まずにすむんだ、という過去の成功体験から、思い込みを信じています。信じる者は救われる。 昨朝起きると、体がだるく、ぶるっと寒気が来ました。 冷蔵庫に牛肉はなく、スーパーに行く時間もなかったので、牛丼チェーン店に駆け込みました。 仕事が終わって帰宅するときにももう一度寄りました。米は重いので牛皿で。そして、葛根湯を飲んで寝たら、今日はだいぶ回復しております。 よし、このあともう一度牛肉を食べてから出勤だ(あ、もちろん野菜などもちゃんと食べてます)。 ボクモのお客さまの中にも体調を崩されている方、よく聞きます。 「ご自愛」とはよく言ったものですね。自分の体を愛するマイルールで、ぜひご自愛ください。   さて、ここからはイベントのお知らせ。元気があれば、イベントも楽しめる。イベントに参加すると、普段と違う刺激が脳に伝わり、体も元気になる!   ボクモ × 獬(シエ) ニュージーランドワインとジビエ料理の饗宴 2024年1月24日(水) 18:30 オープン 19:00...

苦いワイン

  4年前、輪島の朝市に行きました。 良いところだったなあ。海鮮丼を食べたり、おばちゃんが目の前で名入れをやってくれる漆塗りの箸を買ったりしました。活気があって、港町に生きる人たちの力に触れた感じがしました。 その朝市が、元日の震災でまるっきり焼けてしまいました。 そして、その焼ける様子を僕は見ていました。たまたまネットで見つけた輪島朝市の定点カメラで、火災の様子をリアルタイムで見ていたのです。 夜の闇の中で炎は残酷にも広がり、なんども爆発が起きました。気になって夜起き、明け方起き、映像を見る。まだ燃えている。ようやく鎮火したのは翌朝。東京ドームより広いくらいの範囲が焼失してしまったそうです。 辛い。 あの人々がどうか巻き添えになっていませんように。なるべく多くの命が助かっていますように。力がまた沸いてきますように。 そんなことを書いている今。 我々の日常は流れ、普段の生活があります。ボクモの通常営業が始まり、ボクモワインの出荷が始まっています。 目の前にあるワインを見て、なんだか口の中に苦みを感じます。 苦しい人を思い浮かべながら飲むワインは苦い。 こういうときにやれることって、なんだろうな。震災が来るたびに考えますが、いつも答えはわかりません。 結局、自分が手を伸ばせる範囲で何かをして自分を落ち着かせることくらい。 賑やかな朝市の光景、あそこで過ごした楽しい記憶を浮かべながら、少しの寄付をする。それを日常を過ごす免罪符にしてしまっています。 なんとなく過ごす毎日が、実は災難と隣り合わせであることを改めて突きつけられた正月となりました。 さて、いったんCMです。 〜ボクモは来週から新メニュー開始!〜 〜1/24(水)のNZワイン×ジビエ料理のコラボディナー応募受付中!〜 〜ボクモワインの福袋、お得だよ〜 CM終わり。 それではここからは、ちょっと面白いデータの話を。 面白いと感じているのは僕とシェフだけかもしれませんが、年末にボクモで最も人気なメニューは何か、POSデータをさらってみて、シェフとふたりでへえ!となりました。 その結果は・・・ ドリンクメニューの人気第1位 「ソーヴィニヨン・ブラン(グラスワイン)」 2023年1年間で1,139杯出ていました。これは予想通り。やっぱり人気者。このワインは圧倒的な個性ですもんね。 特にグラスでは、特有のグレープフルーツやパッションフルーツの香りが強烈に出ているものを厳選していて、リピートも多数いただいています。 席に座ったらまずソーヴィニヨン。そんなお客さまに支えられて堂々ドリンク部門首位。  ...

驚きと暖かさ

「ケーキの持ち込みって大丈夫ですか?」 たまにあります。 断るお店もけっこう多いみたいですが、ボクモはご予約時に申し出ていただければ、基本OKとしています。 先日、若い女性のお客さまが開店直後にひとりでいらっしゃいました。 「あの、電話でお願いしていた者です。今日、ケーキの持ち込み、すみませんがよろしくお願いします。冷蔵庫に入れていただいても良いですか?」 そう言って、スタッフにケーキの入った箱を渡すと、いったん退店。 そして、予約の時間になると、同じ年くらいの男子といっしょに入店されました。 お食事の終盤、彼女はお手洗いに立ち上がり、厨房に合図。 そして、「お誕生日おめでとうございます!」とスタッフがケーキを持っていくと、満面の笑みで彼氏に「おめでとう」と言って拍手をしました。 その姿、本当に可愛らしかった。 ただ、男子!もうちょっと嬉しそうなリアクションしてよ、と思っちゃったな。 だって、そのケーキ、彼女の手作りなんですよ。前日から準備して、わざわざ彼氏よりも先に店にケーキを届けて、そして満を持してのサプライズ。 ハグとまでは言いませんが、なんか、もうちょっと嬉しさを体で表現しないと彼女の愛情に釣り合わないんじゃないの。 まあ、いきなりの展開に反応できずに、固まっちゃったのかな。そう考えたら、コチコチ男子もまあまあ可愛いですね。 いずれにせよ、その空間はとても暖かかった。 その温度が隣の席へ、店全体へと広がった気がしました。 そして、改めて思いました。 「ああ、本当にコロナ禍、明けたんだな。」と。 あのときは、手作りのケーキを飲食店で渡すサプライズなど、まずできなかったもんな。 前にも書きましたが、僕らはコロナが5類になった5月から、ようやく飲食店の復活劇がはじまるかと手ぐすねを引いていました。 が、結果は惨敗でした。特に9月や10月のボクモは、かなりピンチでした。お客さんが来ない毎日に、「ああ、この仕事はもう必要のない仕事になってしまったのかな」と落ち込んでいました。 しかし、12月。一気に忙しくなりました。 あのサプライズのカップルをはじめ、お初ボクモの方がかなり多かった。久しぶりの方にもいっぱい会えました。常連さんがちょっと遠慮するくらいの盛況ぶりでした(常連さんすみません)。 この12月は、来年に繋がる希望を頂きました。お越し頂いた皆さん、本当にありがとうございました。 やはり需要がある仕事ができているという実感は、なにものにも代えがたい。 それを改めて思い知った年末となりました。 苦しい時期もなんとか乗り越えられたのは、シェフのおかげです。腐らずにいっしょに走り続けてくれてありがとう、ありがとう。スタッフのみんな、とても頼もしいです。来年も頼みます。 そして、通販のボクモワインも、おかげさまでこの12月は過去最多のご注文を頂きました。ああよかった。 スタッフ佐藤さん、たくさんの出荷作業お疲れ様でした。 お届けしたそれぞれのお宅で、テーブルに置かれた美味しいニュージーランドワインを囲んで乾杯している絵を想像すると、やっぱりニヤけてしまいます。...

コラボレーション

「コラボレーション」というカタカナ語について。 1990年代以前の日本では、コラボレーションは、主に芸術の分野で使われていたらしい。 複数の芸術家による合作とか、合同展示とか。アート界隈の限られた人たちが使う用語だったそうな。 その後、経営・情報の分野での共同作業もコラボレーションと呼ぶようになり、今ではごく一般的に「いっしょにやること」を指すようになった。 最初は違和感のあった「コラボ」という略称も、今では浸透しきっている。 「意外なコラボ」とか、かなりよく耳にする。 あっちでコラボ、こっちでコラボ。 その背景には、あらゆるジャンルで先端化が進んで、もはや「真新しいアイデアなどない」時代になってきたことがあると思う。 そして、「新しさとは、古い何かと何かの掛け合わせに過ぎない」とみんなが知るようになった。 だから他者と共同で何かをやることで化学反応を起こしたい。ベン図の重なったところに、新しい色を見つけたい。 そんな流れでコラボレーションという言葉がよく使われるようになったのではなかろうか。 ボクモがはじまった2009年、コラボレーションという言葉はそれほど一般的でなかった気もするが、ボクモは、最初から共同して発表するという機能を持ってオープンした。 僕がつくりたかったのはだたの飲食の場ではなく、色んなイベントをのっけられる箱。今でいう、コラボしやすい箱。 30代から飲食の世界に入った、遅れてきたヤツでも、他ジャンルとの化学反応の面白さがあれば、なんとかやれるんじゃないか。そんなことを思って、たくさんイベントをやった。 ミュージシャン × ボクモ 大学の先生 × ボクモ 文化人 × ボクモ 朗読 × ボクモ マジック × ボクモ 合コン...

貸し切りは条件つきで

ボクモは、ちょっと前まで貸し切りはやらない主義だった。 なぜかというと、以前やったときにだいぶ大変な思いをしたから。 2009年の開店からしばらくの間、ボクモは今よりずっとカジュアルなスタイルだった。 ワインの量り売りや、マグナムボトル半額デー、クラフトビールの飲み放題フェアなんかもよくやっていた。 そこにライブイベントやトークイベントものっけて、ごちゃごちゃでミックスカルチャー的なスタイルだったのが初期のボクモ。 今よりカジュアルな価格設定で、気軽に使える感じが売りだった。 そういうイメージの店で貸し切りをやるとどうなるか。 もちろん、終始にこやかに、お客さんも幹事さんも店もみんなハッピー、という会もあった。むしろそういう会の方が多かった。 が、そうでない残念会もあった。 起きて欲しくないことが起きると、ダメージがけっこう大きかった。 備品は保険に入っているのでまだなんとかなるけれど、スタッフと僕の心がね。 どんな悲劇が起きたのか詳細は書かないが、まあだいたいお察しのとおり。 あのときのやらかされた光景を見て僕は学習した。 「自分が積極的に選んでいない店(連れてこられた店)では、その店にとって好ましくない本性が出てしまう人がいる」と。 そしてボクモは貸し切り営業をやめた。 貸し切りならば準備しやすいし、売り上げも作りやすい。それでも、他に大事にすべきことを優先した。 その後、コロナが来た。 あの時期、飲食店のあり方についていっぱい考えた。 そして貸し切りに関して思ったのは、「貸し切り営業でお客さんがやらかすのは、店のムードによるところもあるかもしれない」ということ。 こんなことを言っては身も蓋もないが、気軽な店ほど、軽く扱われるリスクがある。「ナメてもいい」店のナリが、やらかしを誘発している面もあるのではないか。 いやね、違うんです、普通に楽しく過ごしてくださる方が大半なのですよ。でも、何回も言うけど、僕たちって1回のやらかしダメージが割とぐさっと残るのよね。 そのダメージ回避のためには、僕らが自らのポジショニングを変えれば良い。気軽ゾーンから撤退して、もうちょっと大人の飲み方が似合う店になったら、やらかされリスクが減るのでは。 そういう思いもあって、あれこれリニューアルして、今のボクモになったのです(実際はボクモが変わった理由は他にもたくさんあるのだけれど)。 そしてようやくコロナが明けた今、あのデンジャラスな貸し切りをどう捉えるか。 考えた結果、今のボクモは「条件つき」で貸し切りに対応している。 その条件とは、「ボクモのことを好きでいてくれる方からの依頼かどうか」。 偉そうですみません。何様だよとの誹りは甘んじて受けます。でも14年やってきて、これが今の最適解かなと。 その貸し切り会の後も、お客さまとお店が良い関係でいられることを僕らは望んでいるので。 そして今週、コロナ明けで初めて貸し切りの会をやっていただいた。 お世話になっているワインのインポーターさんの忘年会だった。お酒業界の方は飲み方がとても綺麗。支店長さんのスピーチも素晴らしかった。...

佐世保に行く理由

人生には旅が必要だということはよくわかっている。 今年は9月に長野の上高地に行って、やはり旅は良い、と実感した。 しかし、日常生活に戻ると、家と職場の行き来の繰り返し。 店、通販、ラジオ。仕事は永遠に片付かないし、隙間を作る余裕もない。 旅に行った直後は「日々を豊かにするためにも、また旅に行こう」と思ったあの気持ちが、いとも簡単にしぼんでいるのに気付いて、なんだかがっかりしてしまう。 やはり「よし、行かねばならぬ」という強い気持ちが生まれてこないと、このヘビー級の腰は動かないな、と。 もちろん、ニュージーランドには早く行きたい。現地のワイナリーをひとつでも多く見て回りたい。 ただ、それにはまとまった休みが必要になる。店をコロナからの回復軌道に乗せるのにはもう少し時間がかかるので(夜の飲食店、皆さんが思っているよりも回復していないのですよ)、少し先になるだろう。 では、近場で「行かねばならぬ」、何かないものか。 そう思っていたところ、昨日のカウンターでちょっと面白いことがあった。 オープン直後にやってきたのは一人の男性。 「この店に来たかったんです」と言って、自分のことを喋ってくれた。 去年まで12年間、ニュージーランドで料理人をやっていて、日本に戻ってきた。地元は名古屋。 今、奥さんの実家のある長崎の佐世保で、飲食店を開業する準備をしている。 店では大好きなニュージーランドワインを出したい。どうしたら手に入るのか知り合いに相談したら、通販のボクモワインの存在を教えてくれた。 調べたら、名古屋にボクモというワインバーがある。これは、どんな店か調査せねば。インスパイアを受けたい。 そんな動機で来店したとのこと。 もちろん話が弾まないわけはない。 シェフ渾身の新作ラムバーグ&赤ワインのペアリングも楽しんでもらいながら、話題は、食材、仕入れ、フード・ドリンク比率、内装など、あっちこっちに広がった。 そして、僕が知っている限りのニュージーランドワイン界隈の情報をお伝えした。 開業する店は、ボクモの2/3くらいの大きさで、手打ちパスタがメインの店になるそう。ニュージーランド料理、とは謳わずに、ニュージーランドに住んでいたシェフがつくる、独自の美味しいもの、みたいな感じ。 ターゲットは米兵さん半分、地元の人半分のイメージ。夜だけじゃなくランチもやる。佐世保バーガーはやらない。 話しているうちに、開業する前のあのドキドキわくわくの感じを思い出してきた。やることだらけで大変だけど、頑張って欲しい。そして、ニュージーランドワインで繋がったご縁、大事にしたいと思った。 途中から隣の席に、韓国から名古屋に観光で来たカップルが座った。 そのカップルは半年ぶりのボクモで、二人とも日本への留学経験があって、日本語が上手。 ワインとラム肉が大好きで、ネットで調べて来てくれたのが半年前。今回が2回目の名古屋で、2回目のボクモ。選んでくれてありがたいです。 「長崎に行ったことはありますか?」 「ないけど行ってみたいですね」 そんな会話から盛り上がり、調べたらソウルから長崎は直行便が出ていることが判明。 「じゃあ私たち、店がオープンしたら行きますね!」...