ソムリエ岩須(いわす)のブログ

ボクモ開店14周年

先週は、年に一度の「ニュージーランドワイン試飲・商談会」のために、東京に行ってきました。 プロ向けの講義「マスタークラス」を受講し、その後ひさびさにたくさんのワインをテイスティングしました(もちろん飲み込まずにペッと吐きますのよ、こういう試飲会って)。 今年もたくさん収穫があったのですが、久々の東京の人の多さ、うだるような暑さ、乗り物酔い、体力の衰えなどがミルフィーユのように重なってのしかかり、しっかりと、どっしりと疲れて名古屋に帰ってきました。 詳しいこの会のレポートは、コラム連載をさせていただいている「ニュージーワインズ」に後日のっけたいと思います。 さて、今週はボクモの開店14周年ウィーク。 2009年にオープンしたボクモは、もう中学2年生。思春期。まだまだ半人前。見守りが必要な時期なので、皆さん、定点観測(定期来店)のほど、よろしくお願いします! オープン記念日の7/17には、通販のボクモワインで連動企画「1日だけ全品14%OFFセール」をやったところ、かなりたくさんの方からのオーダーをいただきました。ありがたいです。 ボクモでは、コロナが来る前は毎年この7/17近辺にはパーティーを企画していたのですが、今年はいろいろ事情があってパーティーは秋にやることにしました。 そしたら、どうよ、この今の暑さ。 パーティーのときには、毎回廊下や地上に人があふれてしまうのですが、こんな酷暑の中で開催したら、ちょっと危なかったかもしれません。 もうちょっと涼しくなった頃を見計らって、音楽&ワインの14周年イベントを企画しますのでお楽しみに。 ただ、7月になんにもやらないのはなあ、日頃の感謝の気持ちを伝える機会はつくりたいなと思い、今回は、久しぶりにノベルティをつくってプレゼントしています。 これまで、Tシャツ、団扇、ワイングラスなどのボクモグッズをつくったことがありましたが、今年はエコバッグにしました。 エコバッグなら、まあいくつあっても邪魔にならないかな、と。 生地の一部がリフレクター素材になっているのが、ちょっとしたこだわりです。ボクモから帰るとき、途中で買い物をしてこのエコバッグを持って夜道を歩いたら、ヘッドライトの光をぴかーんと反射してくれます。安全におうちまで帰ってね、という思いを込めてみました。 ロゴは、岩須自作。つくったのは50個。これを書いている時点で在庫はまだすこしあります。よかったらもらってやってください。 合い言葉「14歳つったら中2じゃないですか!」を言ってくださったらお渡しします(みんな照れながら言ってくれて楽しい)。 さあ、ボクモは15年目。これからまずやりたことは、コロナでできなくなっていた店内イベントかな。 以前は、大学と連携したサイエンスイベント、民族音楽のライブイベント、サブカル系のトークイベント、落語会、ワイナリーの方を招いてのワイン会、合コンなどいろいろやっていました。 そう。ボクモの中でイベントは大事な要素のひとつだったのです。 でも、去年大きく改装してレイアウトが変わり、イベント小屋っぽさがぐっと薄れました。キャパシティも減ってしまいました。飲食機能を優先した結果、ちょっとイベントがやりづらい感じになってしまった感は否めない・・・。 が、そう思っていたところに、最近、ポンポーンとイベント企画のご依頼が。 ひとつは仲良くさせていただいているフリーライターの大竹敏之さんの企画。11月にちょっとマニアックなトークイベント、久々にやることに。サブカル?社会学?珍しいもの好きに響きそう。詳細はまた。 それから、名古屋大学主催の「あいちサイエンスフェスティバル」、これもずっと取り組んできたシリーズですが、こちらも復活。 昨日は以前からお世話になっている名古屋大学の担当の方がボクモに来てくださって、「へえ、こんなふうに改装したんですね。でも、普通にイベントできそうですね」と言ってくださいました。 え、そうなんだ!普通にできそう、なんだ! 過去にいっしょにイベントをやっていた方が、客観的に今のボクモを見て、普通にやれるって感じてくださって、ちょっと安心しました。 ああそうか。コロナのせいにして、以前と今の溝をつくっていたのは僕なんだな。 工夫すればなんとかなる。 そう、これまでも場当たり的な工夫でエッチラオッチラやってきたじゃないか。これからも、ボクモなりの工夫で皆さんに楽しんでもらおうじゃないの。工夫はボクモの普通でしょ。...

照らすラジオ

ラジオの仕事をはじめてからもう28年くらい経ちます。現場のディレクターをやっていた頃とは違って、今は原稿を書いてメールで送るだけなのですが、相変わらずラジオを聴くことは好きです。 ボクモにいらっしゃるお客さまに聞くと、僕らより上の世代だとラジオを聴く習慣がある、あるいはあった方は多いように思います。 若い方はやっぱりあまり聴いていないですね。ショート動画文化の中にいると、音声だけっていうのがよくわからない、みたいな話も聞きます。 でも、たまに推しのアイドルや好きな芸人さんのラジオなら聴くという人もいます。やっぱり「強い人の発信」がこれからのラジオを支えるのだろうな、と思ったりします。 で、僕の好きな番組なのですが、その番組名を書こうと思ったのですが、今、なんだか急に恥ずかしくなってきました・・・。 冒頭で28年やってます、みたいに振りかぶったものの、それだけ長いことやっているヤツが聴く番組ってどんなもんじゃい、さぞご立派な、と思われやしないか。 なんだか、専門分野のコアな部分ってなんだかちょっと恥ずかしい。下着一枚になる感じがします。 考えすぎ? まあ、いいです。繕ったってしょうがない。 ラジオって、マスメディアのようであって、その実はもっとパーソナルなものです。送り手と受け取り手による、ひっそりとした価値観の交換の場所なのです。 だから番組のチョイスにもパーソナルな「癖(へき)」が出て当然なのです(と自分に言い聞かせる)。 と、随分もったいぶりましたが、僕が好きな番組のひとつは、TBSラジオの「安住紳一郎の日曜天国」です。 正確に言うと、ポッドキャストに上がっている編集版しか聞いていないので、日曜天国の番組の一部のファン、です。 こないだ、安住アナがTBSの役員待遇になったというのがニュースになっていましたが、ファン的には、そりゃそうだろ、と思います。 あんな喋りが出来る人をフリーにさせてしまったら会社の損失になるって普通思うよね、(ちょっと入れ込みすぎていて気持ち悪いですね、すみません)。 世の中で起きている大きなこと、小さなことを、自分の目線で伝える。そして、何気ない日常の一隅を照らす。日曜天国は、その技が素晴らしいのです。この番組を聴いていて、僕は「世間とは今こうなっているのかあ」と唸っています。 たぶん、安住アナが僕と同年代(正確には2つ上)ということもあるんだろうな。あ、そんな見方があったのか、といつもハッとします。 番組には様々なゲストが訪れるのですが、中でも僕の印象に残っているのは、国立科学博物館の田島木綿子さんです。 打ち上げられたクジラなど、海の哺乳類を解剖して研究している方で、ほんとうにお話が上手。 20年以上にわたり全国を駆け回り、流れ着いた延べ2000頭以上の海獣を解剖してきたという彼女の、圧倒的な経験に基づくお話、聴き入りました。 特に大阪湾に迷い込んだクジラのヨドちゃんの話、興味深かったです。 クジラが死んで海に沈むと、その海底ではものすごいご馳走のボーナスタイムが2000年くらい続き、生態系がガラッと変わるんですって。へーー!!!おもしろ! 日曜天国はいつも10点満点の楽しい放送ですが、楽しい喋り手に楽しいゲストが欠け合わさると、10×10で100点になります。これはラジオ以外のメディアでは出ないスコアです(僕にとって)。   先日、常連さんからこんな質問をされました。 「今度、環境にまつわる学者さんを呼びたいんですけど、どなたかいい人知りませんか?」 そう言ったのは、名古屋市の職員の方です。環境関係のお仕事をされていて市民向けのイベントづくりなども担当しています。 すかさず僕は言いました。 「僕が聞いているラジオにちょくちょく出ている田島木綿子さんって方、すごくお話面白いですよ。」 そしたら、こうなりました。...

我慢していた会をやります

我慢していたことをやろうと思います。 そろそろやっていい頃かな、と。 コロナ前は、ちょくちょくやってました。 何といっても需要がある。そして、やってる僕もわくわくする。 これは、継続してやるべきなやつだ。 そう思っていた頃にコロナがやってきて中断しました。 しかし、そろそろいいよね。 ね? やります。 それは・・・「独身ワイン会」!!!   実はね、最近カウンターでよく聞くのですよ。 「マッチングアプリって疲れる」っていう言葉を。 今や、結婚のきっかけランキングで1位になったアプリ。 ボクモの常連さんでもアプリで出会って結婚された方、何人もいらっしゃいます。 ただ、その一方でこんな声も。 「アプリで会った奴がとんでもなく嫌なことを言う奴だった」 「デートの約束の時間に現れず、連絡も取れず、結果、予約していた店で一人やけ食いをした」 「デートの後、すごく良い感じだと思って次の約束をしようと思ったら、音信不通になった」 どれもヒデー話です。 そっかあ。色んな人に会える分、予想外の摩擦も起きるかあ。 その摩擦にイテテテとなり、げんなりし、くたびれてしまう人、けっこういるんだな。 仮に僕ならどうだろう。 もし独身で、希望を抱いてマッチングアプリをやってみて、最後のケースの「今日のデート、感触良かったな。この人ならうまく行くかもしれないぞ、からの音信不通」となってしまったら。 いやいやいやいや、耐えられないです。だって舞い上がってから地に落とされるんですよ。確実に心が骨折します。 なるほどな、アプリ疲れをしている独身の皆さん、たいへんな思いをしておられるのですね。 じゃあ、この際いったんアプリは置いておいてもいいんじゃないか。 スマホ内の限られた(盛られた)情報で探すのではなく、目の前に何人も異性がいる「リアルなパーティー」で可能性を探ってみようではありませんか。 てなわけで、ボクモプレゼンツ、「独身ワイン会」、です! コロナ前は、せっかく色んな人が集まる飲食店をやっているのだから、普段出会えないような人が出会う場をつくる使命があるんじゃないかなんて思い、いろんな出会いイベントをやっていました。...

食べ物へのときめき

食べたいものが食べられる。飲みたいものが飲める。 考えてみたら、それって当たり前のことではないな、と思います。 ちょっと前のある日、ボクモの近所の病院で人工透析をしている方が、通院帰りに寄ってくださいました。 「本当は水分をとっちゃいけないから、よくないんだけどね。でも、どうしてもワインが飲みたい気分だったから」 そう言って、愛おしそうに、大事に大事にグラスを口に運ぶのを見て、ちょっと切ない気分になりました。 またある日、カウンターで「実はこの間、母親が亡くなってしまって。母親がつくる煮物がもう食べられないんだと思うと、寂しさを感じてしまいますね。」 そんな話を聞き、心がぎゅんと締め付けられました。 食べたいものや飲みたいものが、健康上の理由で、味わえなくなる。物理的に再現不可能になり、味わえなくなる。 僕も人生後半戦。これからはそんなことが増えていくのかな、と思います。 そう思うと、一回一回の食事をもっと大切にしなきゃ、と反省します。 飲めなくなって、食べられなくなったとき。 そのときに悔いが残らないように、今目の前にある食事をせいいっぱい味わうことができているだろうか。 いや、全然だ。 忙しさの中で、生命維持のため、空腹を満たすためになんとなく選択している食事がなんと多いことか。 飲食店をやってるのにこれじゃあダメです。食べ物や飲み物に対する構えが不真面目だ。 もっと向き合わなくては。 そうだ。自分の日常の中に「食べ物へのときめき」を積極的に入れていかなくてはいけないんだ。 待てよ。僕のときめきランキングで上位に入るあれ、季節的に今だった。 食べよう、ときめこう! あれとは、「朴葉寿司(ほおばずし)」です。 岐阜の方はご存じの方も多いと思います。 朴葉寿司は、柔らかい朴の新葉が手に入る初夏だけのぜいたく品。 地域によって、家庭によって、中に入れる具材はだいぶ違います。鱒、鯖、鮭、鮎、ふき、紅ショウガ、しそなどなど。 昔から、僕は岐阜出身の母のつくる朴葉寿司をこの季節に食べていました。 最近は義母(こちらも岐阜出身)が毎年つくって送ってくれます。 青二才の頃は「葉っぱにくるんだ山の寿司なんて地味だよなあ、マグロのにぎりの方がいいなあ」なんて思っていました。 しかし、年を経るにつれて「酢飯に移った朴の葉の香りがたまらん」となってくる。この時期に必要な香りになってくるのです。人間、熟すのも悪くない。 カウンターでそんな話をしていたら、岐阜出身の常連さんが、「うちの実家の近くの飲食店がつくった朴葉寿司、すごく美味しいんです。クール便で配送もやってますよ」と教えてくれました。それは聞き捨てならぬ。 というわけで今回、「お店の朴葉寿司」を取り寄せました。 箱を開けた瞬間、思わず笑みがこぼれました。なんと美しい。...

月一のバス

僕は基本的に店と家を往復する毎日です。 日曜日と火曜日は書く仕事をしていて、家から一歩も外に出ないこともあります。 時世が変わって、いろいろと動けるようになっても、僕の場合、まだそれほど行動範囲を変えることができていません。なんだかコロナによって「動き回る筋肉」がそぎ落とされてしまったのかもなあ、なんて思ったり。 ただ、最近ちょっと変化が起きたのは、月に1回バスに乗るようになったこと。 これまで、バスとはほぼ無縁の生活を送っていました。 もともと極度に乗り物酔いしやすい体質で、小中のバス遠足は酔い止め薬必須。手首にマジックテープで固定するおまじない的なバンドを、毎回「頼むぞ」と念じてはめていました。 最も苦手なのがあの特有の匂いです。あれを嗅ぐだけでげんなり。パブロフの岩須、いとも簡単に酔ってしまう。薬よ、バンドよ、もっと守ってくれたまえ。そんな願いもむなしく、毎度お決まりのように遠足の半日くらいは台無しになっていました。 そういう昔のネガティブな記憶はこびりつくもので、大人になってからも僕はバスはなるべく遠ざけていました。 しかし、こないだ市バスに久しぶりに乗ってみたら、びっくり。 まったく大丈夫なのです。 昔と比べてバスの匂いや揺れが少なくなったのか、加齢による鈍感力が増したのかは定かではありません。が、大丈夫なのです。 流れる景色を楽しむ余裕すらあります。 こっちの道は意外とすいてるなあ、とか、知らぬ間に新しい店ができたんだ、とか。 そのきっかけをくれたのは「いきつけの美容室の移転」です。 僕は自分の店を開店してから14年、同じ美容師さんに髪を切ってもらっています。その美容師さんが、今年の春、店を移転されました(正確には再独立、みたいな感じ)。 その店が地下鉄の駅からけっこう遠く、バスでないと通いにくい場所になってしまったのです。 バスかあ。これまでまったく生活に入ってなかったけど、乗ってみるか。 だって、14年も僕の頭の具合をわかってくれているということは、たいへん価値があることだもんな。40代も後半になってくると、良好な人間関係を継続することの尊さ、ひしひしと感じます。 予約を入れ、はじめて新店を訪れた日。 最寄りのバス停まで歩いて、バスを待つ。どの系列のバスに乗れば良かったんだっけ、とバス停の案内を見て確認する。待っている間に喉が渇いて、自販機でお茶を買う。 あ、これ新鮮だな、と思いました。バスを待つという小さな体験ですが、ルーティーンとは違うことをしているという、ちょっとした緊張感を伴う楽しさを感じます。 バスが来て、乗って、カードをタッチ。よし、うまく乗れた。 どこに座ろうかな。こっちは日が当たるから反対側かな。 あれ?バスが進まない。あ、そうか、僕が席にすっと座らないから、運転手さんが発車できないんだ!バスの先輩のみなさん、ごめんなさい。 座ると、流れる景色がちょっと高い。遠くまで見える。あ、あのコンビニはチョコザップに変わったんだ。 そうだ。自分が降りるバス停、どこだっけ。復習しておかなきゃ。ええっと飯田町だ。平田町の次ね。よしよし。 止まりますボタン、近くにふたつあるけど、どっちを押そうかな。 よし、次が飯田町だ、と思った瞬間、やられた! 前に乗ってる白髪パーマのおばちゃんに先を越された。早押しに負けて、なんだか悔しい。来月はぜったい負けないぞ。 バスを降りて歩く道。...

感動の仕組み

最近、わかったことがあります。 「人はなぜ感動するのか」ということ。 いや違う、「人は」ではなく「僕は」です。自分が感動するときの仕組みがわかったのです。 手元にある旺文社の国語辞典によると「感動」とは、「深く物事に感じて心が動くこと」とあります。 そこにある言葉を加えると、感動という現象が起きる仕組みが説明できることを発見しました。 それは「その物事の当事者であるという意識を持っていたとき」。 当事者として、今目の前で起きていることに巻き込まれていると思っているとき、心は強く揺さぶられるんだ、と思ったのです。   例えば、運動会で一生懸命組み体操をやる子どもを見て、親が泣けてくるのは、産まれてからここまで育てた当事者だから。 映画で感動するのは、登場人物の中に自分と同じ感性を持つ人を重ね合わせ、疑似的な当事者になれるから。 当事者でなければ、身のまわりで起きる出来事はだいたい他人事。 でも、自分が関わっている、と感じると、一気に自分事になる。そして感動が起きる。 そんな考えを導き出すに至ったある体験を、今週しました。   場所は、Zepp Nagoya。ライブハウスです。 僕は以前、ラジオ番組のディレクターをやっていました。 あれは29歳のとき。生放送終わりで、当時の上司からたまたまあるバンドのCDをもらい、スタジオでそれをかけてみました。 「ちょっと待て、これは凄すぎるぞ。」 次の日から毎日そのバンドのCDを番組でかけました。そして、どうしてもそのバンドと一緒に番組がやりたいと企画書を書きました。当時の彼らは19歳です。 たまたまうまく転がって、メジャーデビュー前の半年とデビュー後の半年、深夜番組をいっしょにやらせていただきました。 栄の観覧車の中でのロケや、テレビ塔の下でメンバー自らによる街頭インタビューもやりました。企画の罰ゲームでセンブリ茶やノニジュースもいっぱい飲んでもらいました。ボウリングにもよく行ったなあ。 彼らのライブはいっぱい見ました。年を追うごとに会場が大きくなり、ell.FITS ALLから、Zeppになり、あっという間に日本ガイシホールになりました。 僕は店をはじめ、ディレクターを辞め、業界の人ではなくなりました。それでも彼らとスタッフの皆さんは優しくしてくれています。ありがたいです。 そして、今年はワールドツアー。 北米ツアーに次いで、ヨーロッパツアー。SNSに上がってくる現地のライブレポートを見て驚きました。現地のファンが押し寄せ、大合唱している。BTSと彼らくらいしかこの現象はない、と現地スタッフが言っていたそうです。 そして、ヨーロッパから日本に戻ってきて、今やっているのがライブハウスのツアーです。 すでにドデカいホールやドーム会場クラスの彼らが、バック・トゥ・ザ・ライブハウス。そのツアーの初日が名古屋でした。 そして、「感動」です。...

文章を書くということ

前にも書いたことがあると思うのですが、僕は文章を書くのはそれほど得意ではないです。 ラジオのライターの仕事とか、通販ショップの記事とか、週に一度のこのブログとか、書いている時間はまあまあ長いのですが、「ああ、上手く書けたなあ」と思うことは稀です。 大学は文学部でした。でも、恥ずかしながらそれは「文学大好き」という理由ではなくて、あまりに数学ができなさすぎて、二次試験で数学がないところという消極的な理由での選択でした。 なので、大学に入り、休み時間になるとみんな小説を読んでいるのを見て、驚愕しました。 やばい、俺、なんにも文学のこと知らないぞ。部屋の本棚には星新一のショートショートくらいしかない。 そう思って、そこから慌てて村上春樹を読みました。そして東野圭吾、伊坂幸太郎、恩田陸。本屋に平積みされているのを順番に読みました。 でも、やっぱり「本物の本好き」からすると、だいぶ浅い。ちゃんとした文学部生は太宰治とかの話をしている。そういうのも読むには読んだけど、やっぱり東野圭吾の方が好みだなあ、となる。ゴッホより普通にラッセンが好き現象。 そうこうしているうちに、ラジオ局でアルバイトをはじめて、原稿を書く仕事をやるようになってしまった。入ってすぐ「文学部?なら書けるだろう。」とディレクターに言われ、コーナー原稿を担当することになってしまった。あれは確か、ポケベル会社の中部テレメッセージがスポンサーの番組だったなあ(隔世の感すごい)。 当然、急ごしらえ文学部生の僕が、そんなすらすら書けるわけもありません。うんうん唸りながら大学の講義室に原稿用紙を持って行って、講義中にバレないように原稿を書いたりしていました。 その後、小林克也さんの番組の担当になり、音楽ネタの原稿やコント原稿を書くことに。 いやあ、あの時期はしんどかった。1週間頭をひねって書いた原稿を生放送直前のスタジオでダメ出しされ、オンエアがはじまっているのに冷や汗をかきながら書き直しをした経験、数えきれません。 ああ、俺って才能ないな、と何度も何度も思いました。 ただ、振り返ると、あの時期が自分の成長期だったのかもな、とも思います。これまでろくに本も読まず、文章を書いてこなかったやつが、なんとかプロが納得するものを捻り出さなきゃいけない。ならば、本を読んで、自分の書くための筋肉を鍛えなければいけない。そう思って、あの時期は通勤の電車の中でいつも本を読んでいました。演劇にも行っていたし、映画もまあまあ観ていたなあ。 その後、ラジオの現場を離れて飲食をやることにしてから、小林克也さんから直接オファーを頂き、ニッポン放送、NACK5、bayfmの3局でレギュラーのお仕事をさせていただいております。今はだいたい月に10本くらい。 いちばん長く続いているニッポン放送の番組を、ありがたいことに毎週聴いてくださっているボクモの常連さんがいます。その方が「前回の放送、良かったですよ」なんて言ってくださったら、思わずワインを多めに注いでしまいます。 ただ、そんな中、ひとつだけどうしても苦手な仕事があります。 それは月に1回当番が回ってくるNACK 5のお仕事。LOVE TIMEという、愛にまつわるラジオドラマを音楽を交えながらお届けするコーナーなんですが、まあそれが難儀です。 ラジオドラマって、何回書いても上手く書けた気がしない。小説家って凄いなって心底思います。そして、元となる自分の恋愛経験がなさすぎます。これ致命的。 この仕事のオファーがあったとき、最初は「いや、僕にはちょっと書けないかもしれないです」と言いました。でも、苦手な分野であっても、依頼されるってことは自分が伸びるチャンスかもと思いなおし、こう言いました。 「毎日カウンターでお客さまと色んなお話をしていて、たまには恋愛の話になることもあるので、そんなところから物語を広げる感じなら、なんとか書けるかもしれないです。」 「じゃあ、それでいいから、頼むよ。」 ・・・甘かった。 早々にやり尽くしてしまったよ、その戦法。 最初はお客さまが話してくださることから発展させて書いたりもしたけれど、あっという間にネタ切れです。そりゃそうだ。恋愛トークばかりしているわけはないし、仮に恋愛トークになったとしても、みんながみんなドラマティックな恋をしてるわけじゃない。 今はもう、ただの僕の妄想をこねくり回して、なんとかえいやっと納める感じになっています。 毎回、締め切りが近づくと、胃が痛みます。 どなたか、ご自身の恋愛事情を、ボクモのカウンターで話しにきてほしいです。ネタ、プリーズ。もちろん、個人情報は守りますので。ワイン、多めに注ぎますので。 「やだなあ、あの店に行くと恋愛事情を根掘り葉掘り聞かれるのか」と思ったあなた。そうじゃありません!あくまで話の流れで恋愛トークになったときのみ、ちょこっと参考にさせていただいている程度のことなので。...

元気がある人は人気がある。

元気がある人は人気がある。 先週、そう思いました。 思わせてくれたのは、菅原佳己さん。 彼女はスーパーウーマンです。スーパーマンの女性版ではありません。 菅原さんはスーパーマーケットの女。いや、その言い方は正しくないな。 日本におけるスーパーマーケット研究の第一人者。それが菅原佳己さんです。 各ご当地にあるスーパーマーケットの研究本を多数出版されていて、一般社団法人「全国ご当地スーパー協会」を立ち上げたり、テレビやラジオなどのメディア出演、講演活動もされている方です。 菅原さんとの出会いは、ライターの大竹敏之さんによるボクモのトークイベントにパネラーとして参加していただいたとき。それからボクモにちょくちょく来てくださるようになり、ボクモのバス遠足にも参加していただいたこともありました。 その菅原さんから、先日こんな連絡を頂きました。 「岩須さーん、こんにちは。菅原です。私が今、何でどう移動してるかご存知?今、名古屋入りしてるので、それで乗り付けます。」 なんと!それで、ボクモに乗り付けるとは! “それ”とは、キャンピングカーです。 最近SNSで、菅原さんがひとりでキャンピングカーに寝泊まりをしながら、全国のスーパーマーケットの市場調査の旅に出たのを見ておりました。 すごいぞ。確かに、キャンピングカーで泊まりながら移動するなら、朝の仕入れの様子とか、夜の特売の様子とか、時間に縛られずに取材できるもんなあ。 と、そのアイデアに感服しつつも、実際にやっちゃうとは、なんたる行動力。元気ある! そしてその日は、菅原さんがSNSで「名古屋に来てるから、ボクモとキャンピングカーのはしご酒をしない?」と呼びかけ、急遽の企画にもかかわらず、菅原さんを慕う人たちが集合。 みなさん、横付けされた(実際には歩いてすぐの駐車場に駐めた)キャンピングカーと、ボクモを行ったり来たりして楽しんでいました。 僕も営業が終わってからお邪魔したのですが、車内には様々な場所で手に入れたレアなご当地グルメがいっぱいあり、そこにボクモのおつまみとニュージーランドワインも加わって、楽しい楽しい。ホームパーティーにお邪魔した気分でした。 そして、このキャンピングカーがレンタカーじゃなくて、思い切って購入されたものだということを伺ってびっくり。 実はずっとキャンピングカーで日本中のスーパーを巡るのが夢だったそうで、今年たまたま行けそうなタイミングがあったので、えいやって挑戦してみたそうです。 そのほか色んな珍道中のお話も楽しかったなあ。 結局その日、終電を逃してタクシーで帰りました。 その帰りのタクシー車内で思ったが冒頭のこれ。 「元気のある人は、人気がある。」 自分のやりたいことを元気よくやっている人って魅力的だよなあ、と。 今って、「コロナ前に戻りつつある」とか「コロナ前と比較して今はどう」とかよく言われます。 僕も「コロナ前のうちの店はもうちょっと賑わっていたのになあ」とか、「飲み屋が完全に元に戻るためにはどうしたら良いんだろう」とかよく考えています。 知らず知らず、世間のムードにどっぷり首まで浸かっちゃってる。 でも、菅原さんの素晴らしい行動力と、キラキラ輝いているあの表情を見ると、それって違うんじゃないかと思えてきました。 戻るんじゃない。...

ソムリエバッジをなくしちゃった

ソムリエバッジをなくしちゃった。 これで2回目です。 ああ、やってしまった。 1回目は、野外イベントに出店しているとき。 「青空ワインバー」と題して、公園で昼間っからワインを注ぎ、ミュージシャンをお呼びしてライブをお客さんに見てもらったりして、わいわい楽しくやっていました。 薄暗くなりかけてきて、撤収作業をしているとき。 あれ、胸のバッジがない。。。 どこだ、どこで落としたんだ。その日は知り合いの出店者に挨拶するために会場をぐるぐる回った。ライブ機材の搬入や搬出もやった。ちょっと離れたトイレにも行った。ワインを冷やす氷が足りなくなって店に取りに戻ったりもした。 いつどこでピンが外れて落ちたのか皆目見当がつかないぞ。 夕暮れの公園をあちこち探し回りましたが、結局見つからず。 ああ、やってしまった。再発行費用は2万円。高いよ! ただ、そのとき、兄の言葉を思い出しました。 兄は東京在住のワイン好きサラリーマン。ワインバー事情にも明るく、僕にもちょくちょくアドバイスをくれます。 その兄はかねてから言っていました。 「バッジをつけてるソムリエが、良いソムリエとは限らない。つけてなくて、良いサービスをしてくれる人もいっぱいいる。」と。 そっか。そうだよな。格好じゃなくて、態度が大事。ラッピングじゃなくて中身。 よし、明日からはバッジなしで行こう。と思って、半年くらいはバッジなしでやっていました。 ただ、その間、ちょっと困ったこともありました。 お客さまにワインの説明をしたときに「ちゃんと聞いて頂ける」率がちょっと減ったのです。 ボクモは比較的カジュアルな雰囲気の店なので、ソムリエがいると思わない方もいらっしゃいます。 そんな中で僕がバッジをつけていると、「ああ、この人にワインのことを聞けばいいのね」というモードになって、ワインの紹介をしっかりと聞いていただけるケースがありました。 (もちろん、バッジが何なのかを知らない方もたくさんいらっしゃいますが) しかし、バッジがないと、いまいちワインの話が盛り上がりにくいと感じることもあって、やっぱり馬子にも衣装というか、おっさんにも葡萄バッジだなあと思うこともしばしば。 そう思っていたところに、日本ソムリエ協会から「再発行1回目は5,000円でオッケー」の通達が!なんと15,000円のディスカウント! やっぱりつけようと思い、5,000円を上納し、新しいバッジを手に入れました。 前回はピンで刺すタイタック式で、いつの間にか留め具が開いて落ちちゃったので、今回はマグネット式のバッジにしてみました。 サイズはやや小ぶりになって、軽い。これならきっと落としにくい。 と思って、ここ数年はマグネットの5,000円バッジをしておりました。やはり、バッジに気付いたお客さまから、ワインの説明を求められることは多いし、ワインに詳しい方とのマニアックトークにも拍車がかかります。 やっぱりうちの店ではバッジありの方があっているんだなあ、と思っておりました。 が、先日、1度目のポカをしてしまったのです。...

その夜の大発見

私の日常は、あなたの非日常。 店をやっていると、そんな気分になることがあります。 店は僕にとっては毎日行く職場。でも、お客さんにとって、店で外食するいうのはやはり日常では味わえない体験をしに行く場所(の場合が多いと思います)。 僕らの日々やっている仕事は、誰かにとっての特別な時間になる可能性がある。遠方から来た方にとっては、うちの店で過ごした時間が「名古屋での思い出」になるかも知れない。 そう思うと、身が引き締まります。 今週、特にそんな気分になりました。   SNSで知り合ったニュージーランド在住の日本人の方が、はるばるボクモに来てくださったのです。 セントラル・オタゴのワイナリーで働くToshiさんというその方から、日本に旅行に行き、ボクモに寄りますという連絡を頂いたのは数ヶ月前。 SNSでしか知らない、しかも1万キロ以上離れた海外に住んでいる方と会うというのは、僕にとっては初めての体験でした。 Toshiさん曰く、今回の日本の旅のメインの目的がボクモに来ることだと言っても過言でない、と。なんとありがたいことでしょう。 そして当日、Toshiさんは友人のニュージーランド人Angelaさんといっしょにボクモにご来店。 SNS→リアル対面を経験した方にはわかると思いますが、面白いもんですね。なんだか、輪郭しかわからなかった人の表情が見えた、みたいな感覚になりました。 お土産も頂き、話は弾みに弾み、あっという間に時が過ぎました。 しかしToshiさん、とっても自由な方で面白かった。途中から、Angelaさんそっちのけで、飲みに来たボクモワインスタッフ佐藤の隣に移動して、盛り上がっておりました。「AngelaはAngelaで楽しめば良いんだよ」って。 結果、Angelaさん、カウンターでぽつーん。でも、これが僕にとってはラッキーでした。カウンター越しに、拙い英語でニュージーランドの街の話や食べ物の話、それから日本を旅してみてどこがよかったか、何を食べたのか、いろいろお話をうかがうことができて、非常に興味深かったです。 中でも特に印象的だったのは、「日本の文化には多様性を感じる」と仰っていたことです。 沖縄、長崎、京都を経由して名古屋に来たそうですが、彼女にとって、建物や食事など、それぞれの場所でぜんぜん違った印象を持ったようです。地方によってあんなに違う個性があるのだと知って驚いた、と。そして、それぞれの場所に独自の歴史があると知って、さらにワンダフルだ、と。 なるほどなあ。 多様性。独自の歴史。そこが驚きやワンダフルのポイントなのね。 ボクモは開業14年。まだ独自の歴史って言うには浅すぎる。でも、人によっては「名古屋なのにニュージーランドって、そんな多様性も面白いね」って言ってもらえることもあるのかも。もっとこの個性を深掘りしていかなきゃな。   「Have a nice trip!」とお見送りしてからちょっと経って、AngelaさんはGoogleでボクモに口コミを書いてくれました。 「What a great little...

フェイジョアをめぐる冒険

年をとってくると、好きなものが定まってきます。 たとえば、小説ならば、パラパラっとめくれば自分が好きなタイプかどうかだいたいわかるようになる。 そば屋では、メニューを見て一応は迷うけど、結局は山菜か鰊(にしん)に落ち着く(←じじいのセンス)。 テレビドラマは、再放送で内容を知っていても「相棒」ならついつい見ちゃう(←じじいのセンス)。 新しいものがくれるわくわく感よりも、自分の体にフィットするであろうという安心感を優先しがちなんですな。 なんせ、この肉体を長年操縦してきた実績があります。そして肉体には、以前、自分を喜ばせてくれたものがしっかりインプットされています。その経験を踏まえると、安心感のある方を選択してしまいます。楽だから。 しかし、楽な選択肢を選び続けると、他の選択肢を排除しがちになります。価値観が凝り固まってきます。そして、最悪なことに、他者の好みに不寛容になります。 ・・・いかん。 「なりたくなかった偏屈じじい」へとしっかり進んでおる。 これはなんとか軌道修正せねばならぬ。 わかってはいるのです。回転寿司でサーモンばかりを注文しているとき、いかんいかん、とは思うのです。でも、なかなか自分からは変えられない。 誰かに、こっちの道も楽しいよ、とおすすめしてもらえたら、たまには冒険の道を選ぶことができるのかもなあ。 と、思っていたじじいに、活を入れてくれる方が現れました。 彼女は、ニュージーランド在住の方。 以前、ボクモに通ってくださっているときに、「私、ニュージーランドに移住したいんです!」とカウンターでずっとおっしゃっていた方。 夢を実現されて、今、オークランドに住んでいらっしゃいます。すごいですよね。立派です。 先日、一時帰国したときに、ボクモに寄ってくださったのですが、そのときにいただいたお土産がこれ。 フェイジョアの実でつくったスパークリングワインです。 フェイジョアとは、ニュージーランドでは非常にポピュラーな果物。ですが、僕はまだ食べたことがありません。 噂では「癖があるけどハマる人はハマる」と聞いていたので、ニュージーランドに行ったときは、スーパーのフルーツ売り場ではフェイジョアは素通りしてしまい、プラムばかり買って食べていました。だって、NZのプラムめっちゃくちゃ美味しいんだもん。 「私、フェイジョアが大好きで、このお酒はフェイジョアの味そのものなんですよ」とその方はおっしゃいます。 来ました、冒険の道! 自分から積極的に選ばないものの中に発見がある。新たな価値観に出会える。 「ありがとうございます!この年になっても初体験ができるのって、嬉しいです。」 と、フェイジョアワイン、いただきました。 結果は・・・ もうね、なんていうか、非常に言葉を選んでしまうのですが・・・ 香りが苦手(選んでないやん)。 グラスから立ちのぼる香りを嗅ぐたびに苦虫を噛み潰したような顔をしている僕を見て、その方は大笑いしていました。 ほんと特殊なんです。これまでに嗅いだことのない香り。...

段取り上手の素晴らしさ

段取り上手な人の素晴らしさと言ったらない。 段取りがうまい人って、すなわち「目標を達成するための筋道が立てられる人」。 行動力があって、周りに配慮ができて、なおかつ柔軟性がある人。 つまり、僕とはほぼ真逆の人。 格好良い。格好良すぎて、もうダンドラーとか言いたい。逆にダサいか。まあいいじゃないの。 でもたまにいるんです、すごいダンドラーさんが。そして、その素晴らしさをまざまざと感じたのが昨日です。   昨日は、お休みを使ってボクモのスタッフ同窓会が開催されました。 集まったのは、僕も入れて全部で7人。ボクモの14年の営業歴の中で、主に前半に働いてくれていたスタッフが中心の会でした。 多くのスタッフはボクモを辞めてからも、ありがたいことにボクモにたびたび遊びに来てくれます。だから、僕にとっては「ものすごく久しぶりの顔」はなかったのですが、元スタッフ同士はかなりご無沙汰の再会もあって、それはそれは盛り上がりました。 昼すぎに店に集まって、それぞれが持ち寄ったものを食べたり飲んだりしながら、近況を報告したり、昔話に花を咲かせたり、今まで行った旅行先の情報交換なんかをしていたら、あっという間に外が暗くなっていました。 それにしても幸せな時間だったな。自分がつくった店で、いっしょに働いた人たちが、時を経て、みんなちょっとおじさんおばさんになって、また会って笑いあえる機会をもらえるなんて、なんてありがたいことだろうと思いました。 そして、その会の段取りをしてくれたのが、今は関東に住んでいるEさんです。 去年の年末のこと。Eさんは名古屋に戻ってきたときに、ボクモのカウンターに飲みに来てくれました。会計が終わり、店を出ようとすると、そこにやってきたのは元スタッフのNちゃん!二人で「わー!久しぶり!」ってキャッキャとなりました。 そこで「そうだ、ボクモの同窓会やりたいね。」とEさんが言い出し、Nちゃんが「いいですね、私もみんなと会いたい」となったようです(出口付近で話していたので、僕は聞いておらず、後から聞きました)。 でもね、ちょっとお酒が入ったときって、懐かしい顔に出会って、テンションが上がって、その場のノリで同窓会をやろうとなっても、実現しないことが多いと思います。 ところがEさんは違ったのです。 SNSでつながっている元スタッフたちに連絡し、ゴールデンウィークのどこなら来られるかアンケートをつくり、それを集計して、いちばん多くの人が来られる日を決め、さらに当日の持ち寄りの役割分担(主食、おつまみなど)を割り振ったのです。 もう、トップダンドラーの仕事。 おかげで、こんなに豊かな時間がうまれた。ありがたいことです。 そしてわたくし、こんなに素敵な人たちに関わってもらったお店、もっと盛り上げなくちゃとしみじみ思いました。 そうです。飲食店をやっていてずっと思うのは、常に「潰れることと隣り合わせ」のヒリヒリ感があるってこと。浮き沈みが激しい。挫折しそうになったことは二度や三度ではありません。 でも、昨日のような同窓会があると、改めて思います。 やっぱり働いていた店がなくなるって寂しいよな、と。 他で自慢できるほどの立派な店ではないですが、そんな店でも存続し続けることって意味があるんだな、と。 そのためにやれること、コツコツやっていかねば。今回来られなかったスタッフもいるので、またちょっと経ったらEさんに段取りをお願いしよう。その第二弾開催まで、ちゃんと存続していられるよう頑張ろう。   ちなみに、元スタッフの中には旅行の段取りが抜群にうまい人もいます。以前もいっしょに旅したことがあるのですが、今度、またいっしょに行く計画を立てるよ、と誘ってくれました。 行き当たりばったりのアホンダラーのわたくし、素晴らしいダンドラーさんたちの素敵なダンドリングに支えられております。 ありがたい。

機械が意志を持つ

毎日カウンターでいろいろなお話をしています。 最近よく出てくる話題はAIです。 Chat GPTを実際に仕事に使っている方の話とか、とても興味深いなと思って聞いています。 そのうち、SFで描かれてきたような、機械が意志を持って、人間に指示をする時代になっても全然不思議じゃないですよね、なんていう話になったり。 そうそう、そんな「機械が意志を持つってこんなことか」という体験を、ついこの間しました。   わたくし、長年乗っていた車を買い換えることにしました。 息子が産まれる直前に買って、子どもたちの成長とともに、ずっと岩須家にいた存在です。家族で行った毎年のキャンプの思い出は、あの車とともにあります。 しかし、ここ数年は妻から「いつまで乗るの?」と言われていました。 たしかに、ファミリーカーとしてはちょっと大きめのサイズ。燃費はよくない。税金も車検代も高い。 あんなに毎年必ず行っていたのに、今は 「どう?キャンプに行かない?」 「ひとりで行ったら。」 です。 とほほ。子の成長は、親を寂しくさせます。 そして今は、近所の買い物がメイン。 ならば、妻の言うとおり、あんなに大きな車を持っている必要はないです。 でも、気に入ってるんだよな。フォルムも、乗り心地も申し分ない。道行く車を見ても、ああ、次はあれに乗りたいなあとか思わない。それくらい愛着があります。なんせ16年乗っているので。僕にとっては、移動する道具という存在を超えた存在なのです。 ただやはり、妻の意見は的を射ています。ガソリンを入れるたびに、税金の納付書が来るたびに、車検が来るたびに、ああ、こいつを維持するのって大変だな、と思ってしまいます。 そして、これから恐らくあちこちガタがくるでしょう。そのときの修理代も考えると・・・やっぱりそろそろ潮時かも知れない。お別れしなくてはいけないんだな。 そう思って、去年の夏くらいから真剣に買い換え候補を探しました。   ちなみに私、車は輸入車じゃなく、国産車にこだわっています。 なぜなら、大学生の頃、友人にこう宣言したから。 「たしかに輸入車は格好いい。でも自動車って、日本が世界に誇る立派な産業なんだぜ。だから俺は、まず国内の全メーカーを一周して、その良さをしっかりわかってから、輸入車に乗るんだ。」 ・・・今考えるとかなり謎なマイルールです。 今、ワインはニュージーランドにこだわっているくせに、なぜ車は国産なの? 国産メーカーを一周するってことは、日野やいすゞも乗るの? など、ツッコミどころ満載ですが、あの30年近く前に宣言したマイルールを破るのが、なぜかちょっと気持ち悪い気がしてしまうのです。...