ソムリエ岩須(いわす)のブログ

文章を書くということ

前にも書いたことがあると思うのですが、僕は文章を書くのはそれほど得意ではないです。 ラジオのライターの仕事とか、通販ショップの記事とか、週に一度のこのブログとか、書いている時間はまあまあ長いのですが、「ああ、上手く書けたなあ」と思うことは稀です。 大学は文学部でした。でも、恥ずかしながらそれは「文学大好き」という理由ではなくて、あまりに数学ができなさすぎて、二次試験で数学がないところという消極的な理由での選択でした。 なので、大学に入り、休み時間になるとみんな小説を読んでいるのを見て、驚愕しました。 やばい、俺、なんにも文学のこと知らないぞ。部屋の本棚には星新一のショートショートくらいしかない。 そう思って、そこから慌てて村上春樹を読みました。そして東野圭吾、伊坂幸太郎、恩田陸。本屋に平積みされているのを順番に読みました。 でも、やっぱり「本物の本好き」からすると、だいぶ浅い。ちゃんとした文学部生は太宰治とかの話をしている。そういうのも読むには読んだけど、やっぱり東野圭吾の方が好みだなあ、となる。ゴッホより普通にラッセンが好き現象。 そうこうしているうちに、ラジオ局でアルバイトをはじめて、原稿を書く仕事をやるようになってしまった。入ってすぐ「文学部?なら書けるだろう。」とディレクターに言われ、コーナー原稿を担当することになってしまった。あれは確か、ポケベル会社の中部テレメッセージがスポンサーの番組だったなあ(隔世の感すごい)。 当然、急ごしらえ文学部生の僕が、そんなすらすら書けるわけもありません。うんうん唸りながら大学の講義室に原稿用紙を持って行って、講義中にバレないように原稿を書いたりしていました。 その後、小林克也さんの番組の担当になり、音楽ネタの原稿やコント原稿を書くことに。 いやあ、あの時期はしんどかった。1週間頭をひねって書いた原稿を生放送直前のスタジオでダメ出しされ、オンエアがはじまっているのに冷や汗をかきながら書き直しをした経験、数えきれません。 ああ、俺って才能ないな、と何度も何度も思いました。 ただ、振り返ると、あの時期が自分の成長期だったのかもな、とも思います。これまでろくに本も読まず、文章を書いてこなかったやつが、なんとかプロが納得するものを捻り出さなきゃいけない。ならば、本を読んで、自分の書くための筋肉を鍛えなければいけない。そう思って、あの時期は通勤の電車の中でいつも本を読んでいました。演劇にも行っていたし、映画もまあまあ観ていたなあ。 その後、ラジオの現場を離れて飲食をやることにしてから、小林克也さんから直接オファーを頂き、ニッポン放送、NACK5、bayfmの3局でレギュラーのお仕事をさせていただいております。今はだいたい月に10本くらい。 いちばん長く続いているニッポン放送の番組を、ありがたいことに毎週聴いてくださっているボクモの常連さんがいます。その方が「前回の放送、良かったですよ」なんて言ってくださったら、思わずワインを多めに注いでしまいます。 ただ、そんな中、ひとつだけどうしても苦手な仕事があります。 それは月に1回当番が回ってくるNACK 5のお仕事。LOVE TIMEという、愛にまつわるラジオドラマを音楽を交えながらお届けするコーナーなんですが、まあそれが難儀です。 ラジオドラマって、何回書いても上手く書けた気がしない。小説家って凄いなって心底思います。そして、元となる自分の恋愛経験がなさすぎます。これ致命的。 この仕事のオファーがあったとき、最初は「いや、僕にはちょっと書けないかもしれないです」と言いました。でも、苦手な分野であっても、依頼されるってことは自分が伸びるチャンスかもと思いなおし、こう言いました。 「毎日カウンターでお客さまと色んなお話をしていて、たまには恋愛の話になることもあるので、そんなところから物語を広げる感じなら、なんとか書けるかもしれないです。」 「じゃあ、それでいいから、頼むよ。」 ・・・甘かった。 早々にやり尽くしてしまったよ、その戦法。 最初はお客さまが話してくださることから発展させて書いたりもしたけれど、あっという間にネタ切れです。そりゃそうだ。恋愛トークばかりしているわけはないし、仮に恋愛トークになったとしても、みんながみんなドラマティックな恋をしてるわけじゃない。 今はもう、ただの僕の妄想をこねくり回して、なんとかえいやっと納める感じになっています。 毎回、締め切りが近づくと、胃が痛みます。 どなたか、ご自身の恋愛事情を、ボクモのカウンターで話しにきてほしいです。ネタ、プリーズ。もちろん、個人情報は守りますので。ワイン、多めに注ぎますので。 「やだなあ、あの店に行くと恋愛事情を根掘り葉掘り聞かれるのか」と思ったあなた。そうじゃありません!あくまで話の流れで恋愛トークになったときのみ、ちょこっと参考にさせていただいている程度のことなので。...

元気がある人は人気がある。

元気がある人は人気がある。 先週、そう思いました。 思わせてくれたのは、菅原佳己さん。 彼女はスーパーウーマンです。スーパーマンの女性版ではありません。 菅原さんはスーパーマーケットの女。いや、その言い方は正しくないな。 日本におけるスーパーマーケット研究の第一人者。それが菅原佳己さんです。 各ご当地にあるスーパーマーケットの研究本を多数出版されていて、一般社団法人「全国ご当地スーパー協会」を立ち上げたり、テレビやラジオなどのメディア出演、講演活動もされている方です。 菅原さんとの出会いは、ライターの大竹敏之さんによるボクモのトークイベントにパネラーとして参加していただいたとき。それからボクモにちょくちょく来てくださるようになり、ボクモのバス遠足にも参加していただいたこともありました。 その菅原さんから、先日こんな連絡を頂きました。 「岩須さーん、こんにちは。菅原です。私が今、何でどう移動してるかご存知?今、名古屋入りしてるので、それで乗り付けます。」 なんと!それで、ボクモに乗り付けるとは! “それ”とは、キャンピングカーです。 最近SNSで、菅原さんがひとりでキャンピングカーに寝泊まりをしながら、全国のスーパーマーケットの市場調査の旅に出たのを見ておりました。 すごいぞ。確かに、キャンピングカーで泊まりながら移動するなら、朝の仕入れの様子とか、夜の特売の様子とか、時間に縛られずに取材できるもんなあ。 と、そのアイデアに感服しつつも、実際にやっちゃうとは、なんたる行動力。元気ある! そしてその日は、菅原さんがSNSで「名古屋に来てるから、ボクモとキャンピングカーのはしご酒をしない?」と呼びかけ、急遽の企画にもかかわらず、菅原さんを慕う人たちが集合。 みなさん、横付けされた(実際には歩いてすぐの駐車場に駐めた)キャンピングカーと、ボクモを行ったり来たりして楽しんでいました。 僕も営業が終わってからお邪魔したのですが、車内には様々な場所で手に入れたレアなご当地グルメがいっぱいあり、そこにボクモのおつまみとニュージーランドワインも加わって、楽しい楽しい。ホームパーティーにお邪魔した気分でした。 そして、このキャンピングカーがレンタカーじゃなくて、思い切って購入されたものだということを伺ってびっくり。 実はずっとキャンピングカーで日本中のスーパーを巡るのが夢だったそうで、今年たまたま行けそうなタイミングがあったので、えいやって挑戦してみたそうです。 そのほか色んな珍道中のお話も楽しかったなあ。 結局その日、終電を逃してタクシーで帰りました。 その帰りのタクシー車内で思ったが冒頭のこれ。 「元気のある人は、人気がある。」 自分のやりたいことを元気よくやっている人って魅力的だよなあ、と。 今って、「コロナ前に戻りつつある」とか「コロナ前と比較して今はどう」とかよく言われます。 僕も「コロナ前のうちの店はもうちょっと賑わっていたのになあ」とか、「飲み屋が完全に元に戻るためにはどうしたら良いんだろう」とかよく考えています。 知らず知らず、世間のムードにどっぷり首まで浸かっちゃってる。 でも、菅原さんの素晴らしい行動力と、キラキラ輝いているあの表情を見ると、それって違うんじゃないかと思えてきました。 戻るんじゃない。...

ソムリエバッジをなくしちゃった

ソムリエバッジをなくしちゃった。 これで2回目です。 ああ、やってしまった。 1回目は、野外イベントに出店しているとき。 「青空ワインバー」と題して、公園で昼間っからワインを注ぎ、ミュージシャンをお呼びしてライブをお客さんに見てもらったりして、わいわい楽しくやっていました。 薄暗くなりかけてきて、撤収作業をしているとき。 あれ、胸のバッジがない。。。 どこだ、どこで落としたんだ。その日は知り合いの出店者に挨拶するために会場をぐるぐる回った。ライブ機材の搬入や搬出もやった。ちょっと離れたトイレにも行った。ワインを冷やす氷が足りなくなって店に取りに戻ったりもした。 いつどこでピンが外れて落ちたのか皆目見当がつかないぞ。 夕暮れの公園をあちこち探し回りましたが、結局見つからず。 ああ、やってしまった。再発行費用は2万円。高いよ! ただ、そのとき、兄の言葉を思い出しました。 兄は東京在住のワイン好きサラリーマン。ワインバー事情にも明るく、僕にもちょくちょくアドバイスをくれます。 その兄はかねてから言っていました。 「バッジをつけてるソムリエが、良いソムリエとは限らない。つけてなくて、良いサービスをしてくれる人もいっぱいいる。」と。 そっか。そうだよな。格好じゃなくて、態度が大事。ラッピングじゃなくて中身。 よし、明日からはバッジなしで行こう。と思って、半年くらいはバッジなしでやっていました。 ただ、その間、ちょっと困ったこともありました。 お客さまにワインの説明をしたときに「ちゃんと聞いて頂ける」率がちょっと減ったのです。 ボクモは比較的カジュアルな雰囲気の店なので、ソムリエがいると思わない方もいらっしゃいます。 そんな中で僕がバッジをつけていると、「ああ、この人にワインのことを聞けばいいのね」というモードになって、ワインの紹介をしっかりと聞いていただけるケースがありました。 (もちろん、バッジが何なのかを知らない方もたくさんいらっしゃいますが) しかし、バッジがないと、いまいちワインの話が盛り上がりにくいと感じることもあって、やっぱり馬子にも衣装というか、おっさんにも葡萄バッジだなあと思うこともしばしば。 そう思っていたところに、日本ソムリエ協会から「再発行1回目は5,000円でオッケー」の通達が!なんと15,000円のディスカウント! やっぱりつけようと思い、5,000円を上納し、新しいバッジを手に入れました。 前回はピンで刺すタイタック式で、いつの間にか留め具が開いて落ちちゃったので、今回はマグネット式のバッジにしてみました。 サイズはやや小ぶりになって、軽い。これならきっと落としにくい。 と思って、ここ数年はマグネットの5,000円バッジをしておりました。やはり、バッジに気付いたお客さまから、ワインの説明を求められることは多いし、ワインに詳しい方とのマニアックトークにも拍車がかかります。 やっぱりうちの店ではバッジありの方があっているんだなあ、と思っておりました。 が、先日、1度目のポカをしてしまったのです。...

その夜の大発見

私の日常は、あなたの非日常。 店をやっていると、そんな気分になることがあります。 店は僕にとっては毎日行く職場。でも、お客さんにとって、店で外食するいうのはやはり日常では味わえない体験をしに行く場所(の場合が多いと思います)。 僕らの日々やっている仕事は、誰かにとっての特別な時間になる可能性がある。遠方から来た方にとっては、うちの店で過ごした時間が「名古屋での思い出」になるかも知れない。 そう思うと、身が引き締まります。 今週、特にそんな気分になりました。   SNSで知り合ったニュージーランド在住の日本人の方が、はるばるボクモに来てくださったのです。 セントラル・オタゴのワイナリーで働くToshiさんというその方から、日本に旅行に行き、ボクモに寄りますという連絡を頂いたのは数ヶ月前。 SNSでしか知らない、しかも1万キロ以上離れた海外に住んでいる方と会うというのは、僕にとっては初めての体験でした。 Toshiさん曰く、今回の日本の旅のメインの目的がボクモに来ることだと言っても過言でない、と。なんとありがたいことでしょう。 そして当日、Toshiさんは友人のニュージーランド人Angelaさんといっしょにボクモにご来店。 SNS→リアル対面を経験した方にはわかると思いますが、面白いもんですね。なんだか、輪郭しかわからなかった人の表情が見えた、みたいな感覚になりました。 お土産も頂き、話は弾みに弾み、あっという間に時が過ぎました。 しかしToshiさん、とっても自由な方で面白かった。途中から、Angelaさんそっちのけで、飲みに来たボクモワインスタッフ佐藤の隣に移動して、盛り上がっておりました。「AngelaはAngelaで楽しめば良いんだよ」って。 結果、Angelaさん、カウンターでぽつーん。でも、これが僕にとってはラッキーでした。カウンター越しに、拙い英語でニュージーランドの街の話や食べ物の話、それから日本を旅してみてどこがよかったか、何を食べたのか、いろいろお話をうかがうことができて、非常に興味深かったです。 中でも特に印象的だったのは、「日本の文化には多様性を感じる」と仰っていたことです。 沖縄、長崎、京都を経由して名古屋に来たそうですが、彼女にとって、建物や食事など、それぞれの場所でぜんぜん違った印象を持ったようです。地方によってあんなに違う個性があるのだと知って驚いた、と。そして、それぞれの場所に独自の歴史があると知って、さらにワンダフルだ、と。 なるほどなあ。 多様性。独自の歴史。そこが驚きやワンダフルのポイントなのね。 ボクモは開業14年。まだ独自の歴史って言うには浅すぎる。でも、人によっては「名古屋なのにニュージーランドって、そんな多様性も面白いね」って言ってもらえることもあるのかも。もっとこの個性を深掘りしていかなきゃな。   「Have a nice trip!」とお見送りしてからちょっと経って、AngelaさんはGoogleでボクモに口コミを書いてくれました。 「What a great little...

フェイジョアをめぐる冒険

年をとってくると、好きなものが定まってきます。 たとえば、小説ならば、パラパラっとめくれば自分が好きなタイプかどうかだいたいわかるようになる。 そば屋では、メニューを見て一応は迷うけど、結局は山菜か鰊(にしん)に落ち着く(←じじいのセンス)。 テレビドラマは、再放送で内容を知っていても「相棒」ならついつい見ちゃう(←じじいのセンス)。 新しいものがくれるわくわく感よりも、自分の体にフィットするであろうという安心感を優先しがちなんですな。 なんせ、この肉体を長年操縦してきた実績があります。そして肉体には、以前、自分を喜ばせてくれたものがしっかりインプットされています。その経験を踏まえると、安心感のある方を選択してしまいます。楽だから。 しかし、楽な選択肢を選び続けると、他の選択肢を排除しがちになります。価値観が凝り固まってきます。そして、最悪なことに、他者の好みに不寛容になります。 ・・・いかん。 「なりたくなかった偏屈じじい」へとしっかり進んでおる。 これはなんとか軌道修正せねばならぬ。 わかってはいるのです。回転寿司でサーモンばかりを注文しているとき、いかんいかん、とは思うのです。でも、なかなか自分からは変えられない。 誰かに、こっちの道も楽しいよ、とおすすめしてもらえたら、たまには冒険の道を選ぶことができるのかもなあ。 と、思っていたじじいに、活を入れてくれる方が現れました。 彼女は、ニュージーランド在住の方。 以前、ボクモに通ってくださっているときに、「私、ニュージーランドに移住したいんです!」とカウンターでずっとおっしゃっていた方。 夢を実現されて、今、オークランドに住んでいらっしゃいます。すごいですよね。立派です。 先日、一時帰国したときに、ボクモに寄ってくださったのですが、そのときにいただいたお土産がこれ。 フェイジョアの実でつくったスパークリングワインです。 フェイジョアとは、ニュージーランドでは非常にポピュラーな果物。ですが、僕はまだ食べたことがありません。 噂では「癖があるけどハマる人はハマる」と聞いていたので、ニュージーランドに行ったときは、スーパーのフルーツ売り場ではフェイジョアは素通りしてしまい、プラムばかり買って食べていました。だって、NZのプラムめっちゃくちゃ美味しいんだもん。 「私、フェイジョアが大好きで、このお酒はフェイジョアの味そのものなんですよ」とその方はおっしゃいます。 来ました、冒険の道! 自分から積極的に選ばないものの中に発見がある。新たな価値観に出会える。 「ありがとうございます!この年になっても初体験ができるのって、嬉しいです。」 と、フェイジョアワイン、いただきました。 結果は・・・ もうね、なんていうか、非常に言葉を選んでしまうのですが・・・ 香りが苦手(選んでないやん)。 グラスから立ちのぼる香りを嗅ぐたびに苦虫を噛み潰したような顔をしている僕を見て、その方は大笑いしていました。 ほんと特殊なんです。これまでに嗅いだことのない香り。...

段取り上手の素晴らしさ

段取り上手な人の素晴らしさと言ったらない。 段取りがうまい人って、すなわち「目標を達成するための筋道が立てられる人」。 行動力があって、周りに配慮ができて、なおかつ柔軟性がある人。 つまり、僕とはほぼ真逆の人。 格好良い。格好良すぎて、もうダンドラーとか言いたい。逆にダサいか。まあいいじゃないの。 でもたまにいるんです、すごいダンドラーさんが。そして、その素晴らしさをまざまざと感じたのが昨日です。   昨日は、お休みを使ってボクモのスタッフ同窓会が開催されました。 集まったのは、僕も入れて全部で7人。ボクモの14年の営業歴の中で、主に前半に働いてくれていたスタッフが中心の会でした。 多くのスタッフはボクモを辞めてからも、ありがたいことにボクモにたびたび遊びに来てくれます。だから、僕にとっては「ものすごく久しぶりの顔」はなかったのですが、元スタッフ同士はかなりご無沙汰の再会もあって、それはそれは盛り上がりました。 昼すぎに店に集まって、それぞれが持ち寄ったものを食べたり飲んだりしながら、近況を報告したり、昔話に花を咲かせたり、今まで行った旅行先の情報交換なんかをしていたら、あっという間に外が暗くなっていました。 それにしても幸せな時間だったな。自分がつくった店で、いっしょに働いた人たちが、時を経て、みんなちょっとおじさんおばさんになって、また会って笑いあえる機会をもらえるなんて、なんてありがたいことだろうと思いました。 そして、その会の段取りをしてくれたのが、今は関東に住んでいるEさんです。 去年の年末のこと。Eさんは名古屋に戻ってきたときに、ボクモのカウンターに飲みに来てくれました。会計が終わり、店を出ようとすると、そこにやってきたのは元スタッフのNちゃん!二人で「わー!久しぶり!」ってキャッキャとなりました。 そこで「そうだ、ボクモの同窓会やりたいね。」とEさんが言い出し、Nちゃんが「いいですね、私もみんなと会いたい」となったようです(出口付近で話していたので、僕は聞いておらず、後から聞きました)。 でもね、ちょっとお酒が入ったときって、懐かしい顔に出会って、テンションが上がって、その場のノリで同窓会をやろうとなっても、実現しないことが多いと思います。 ところがEさんは違ったのです。 SNSでつながっている元スタッフたちに連絡し、ゴールデンウィークのどこなら来られるかアンケートをつくり、それを集計して、いちばん多くの人が来られる日を決め、さらに当日の持ち寄りの役割分担(主食、おつまみなど)を割り振ったのです。 もう、トップダンドラーの仕事。 おかげで、こんなに豊かな時間がうまれた。ありがたいことです。 そしてわたくし、こんなに素敵な人たちに関わってもらったお店、もっと盛り上げなくちゃとしみじみ思いました。 そうです。飲食店をやっていてずっと思うのは、常に「潰れることと隣り合わせ」のヒリヒリ感があるってこと。浮き沈みが激しい。挫折しそうになったことは二度や三度ではありません。 でも、昨日のような同窓会があると、改めて思います。 やっぱり働いていた店がなくなるって寂しいよな、と。 他で自慢できるほどの立派な店ではないですが、そんな店でも存続し続けることって意味があるんだな、と。 そのためにやれること、コツコツやっていかねば。今回来られなかったスタッフもいるので、またちょっと経ったらEさんに段取りをお願いしよう。その第二弾開催まで、ちゃんと存続していられるよう頑張ろう。   ちなみに、元スタッフの中には旅行の段取りが抜群にうまい人もいます。以前もいっしょに旅したことがあるのですが、今度、またいっしょに行く計画を立てるよ、と誘ってくれました。 行き当たりばったりのアホンダラーのわたくし、素晴らしいダンドラーさんたちの素敵なダンドリングに支えられております。 ありがたい。

機械が意志を持つ

毎日カウンターでいろいろなお話をしています。 最近よく出てくる話題はAIです。 Chat GPTを実際に仕事に使っている方の話とか、とても興味深いなと思って聞いています。 そのうち、SFで描かれてきたような、機械が意志を持って、人間に指示をする時代になっても全然不思議じゃないですよね、なんていう話になったり。 そうそう、そんな「機械が意志を持つってこんなことか」という体験を、ついこの間しました。   わたくし、長年乗っていた車を買い換えることにしました。 息子が産まれる直前に買って、子どもたちの成長とともに、ずっと岩須家にいた存在です。家族で行った毎年のキャンプの思い出は、あの車とともにあります。 しかし、ここ数年は妻から「いつまで乗るの?」と言われていました。 たしかに、ファミリーカーとしてはちょっと大きめのサイズ。燃費はよくない。税金も車検代も高い。 あんなに毎年必ず行っていたのに、今は 「どう?キャンプに行かない?」 「ひとりで行ったら。」 です。 とほほ。子の成長は、親を寂しくさせます。 そして今は、近所の買い物がメイン。 ならば、妻の言うとおり、あんなに大きな車を持っている必要はないです。 でも、気に入ってるんだよな。フォルムも、乗り心地も申し分ない。道行く車を見ても、ああ、次はあれに乗りたいなあとか思わない。それくらい愛着があります。なんせ16年乗っているので。僕にとっては、移動する道具という存在を超えた存在なのです。 ただやはり、妻の意見は的を射ています。ガソリンを入れるたびに、税金の納付書が来るたびに、車検が来るたびに、ああ、こいつを維持するのって大変だな、と思ってしまいます。 そして、これから恐らくあちこちガタがくるでしょう。そのときの修理代も考えると・・・やっぱりそろそろ潮時かも知れない。お別れしなくてはいけないんだな。 そう思って、去年の夏くらいから真剣に買い換え候補を探しました。   ちなみに私、車は輸入車じゃなく、国産車にこだわっています。 なぜなら、大学生の頃、友人にこう宣言したから。 「たしかに輸入車は格好いい。でも自動車って、日本が世界に誇る立派な産業なんだぜ。だから俺は、まず国内の全メーカーを一周して、その良さをしっかりわかってから、輸入車に乗るんだ。」 ・・・今考えるとかなり謎なマイルールです。 今、ワインはニュージーランドにこだわっているくせに、なぜ車は国産なの? 国産メーカーを一周するってことは、日野やいすゞも乗るの? など、ツッコミどころ満載ですが、あの30年近く前に宣言したマイルールを破るのが、なぜかちょっと気持ち悪い気がしてしまうのです。...

マリアージュとペアリング

以前は、ワインと料理の相性が良いときに、マリアージュ(Mariage:仏語)という言葉をよく使いました。 しかし、最近はそれほど聞かなくなりました。ちょっと前に受けた日本ソムリエ協会のセミナーでも、講師の方は「今はサービスの現場でマリアージュという言葉はあまり使わなくなっています」と言ってました。 マリアージュ=結婚。 料理とワインが結婚するほど相性が良い、という比喩表現。しかし、今や、幸せに生きている独身の方がとても多い時代です。それに、結婚しても離婚する人も多いです。 つまり、結婚こそが素晴らしい組み合わせの象徴であるとする価値観は、この時代にはそぐわないということなのでしょうな。 その代わりに使われるようになった言葉は、ペアリング(Pairing:英語)です。 ペアリング、と日本語でググると、ずらっと「ペアの指輪(Pair Ring)」が出てきますが、それじゃないです。 動詞のペア(Pair)=「ペアになる」に、ingをつけて現在分詞にしたのがPairing。「ペアになること」です。 つまり、あるものとあるものが一対になること、という単なる現象を指しているだけ。それが良いとか悪いとかの、主観は入っていません。 だから、使うときも、「このソーヴィニヨン・ブランとサーモンは、なかなか良いペアリングですね。」となります。 マリアージュよりも、ニュアンスがちょっと軽いんです。 マリアージュって、赤い糸で結ばれた強い絆感が出ますよね。添い遂げるべき相手、みたいな。 それに対してペアリングは、「私たちって、たまたまご紹介いただいて、一時的にマッチした間柄よね」と、軽く手を繋ぐ感じ。 例えるなら、フォークダンスで、たまたま巡ってきた女子と手を繋いだら、「あら、なんかしっくりくる」となった感じ。そんな経験ないけど。 つまり言いたいのは、マリアージュだとガチッとした正式な結びつきを連想させるのに対し、ペアリングは、相性の良さのグラデーションがあってよいニュアンスが含まれるってこと。 実際、ワインと料理をあわせてみたとき、伝統的に「これとこれはあうはず」とされている定番の組み合わせが、自分にとってはそれほど魅力的に感じないこともあると思います(僕はまあまああります)。 逆に、セオリーからするとそんなに相性が良くなさそうでも、「いや、これは自分にはしっくり来るぞ」というペアだってあります。たまに、意外な組み合わせが感動的にぴたっとあうこともあります。 そう考えると、たとえば店側が「当店のラム肉とピノ・ノワールの【マリアージュ】をお楽しみください」と言ってしまうと、ともすると、ちょっと押しつけがましいニュアンスが出るかもな、と思います。 お節介な近所のおばさんが「ラム男くんとピノ子ちゃんなら間違いない。誰が何と言おうと絶対にうまく行くわよ!」って決めつける感じ。 そうじゃなくて、「当店のラム肉とピノ・ノワール、きっと楽しい【ペアリング】になると思います」くらいにしておけば、あくまで店側からの一提案ですよっていう、ふんわり感が出る。 グループ交際の中で、「僕は、ラム男くんとピノ子さんって、もしかしたら一緒に楽しく過ごせるかもって思うんだよね。」みたいなことを言うヤツ、みたいな。真剣に受け止めることもできるし、笑い飛ばすこともできる、ってな感じかな。 どうでしょう。伝わりづらいかな。伝わりづらかったらごめんなさい。これ、あなたと僕のペアリングが試されるやつですね。 さて、なぜ、そんなチマチマしたマリアージュとペアリングの違いなぞを考えているかというと、実はボクモで「料理とそれにあわせたワインがセットになったコースメニュー」をやってみようということになったからです。 実はここ最近、お客さまからの「あうワインください」のオーダーが多いのです。 「牛ホホ肉の赤ワイン煮込みにあうワインをください」みたいな感じでワインを頼まれる方、増えています。「せっかく外食するなら料理とワインのハーモニーを楽しみたい」というニーズが増えていると感じます。 ならば最初から最後まで、コース料理にあわせるワインを提案するパターンもあってもよいのかも?と思い至ったわけです。 というわけで、来週からボクモでこんなのをやってみます。   「NZワイン4杯...

プレゼントの精度

プレゼントを贈るという行為は案外難しいです。 自分がもらったとき、一応喜ぶリアクションをしたけれど、実際はそんなに喜ばしいものではなかったという経験は誰でもあるでしょう。 だから、自分が贈る側のときには、相手にとって不要なものを選びたくない。 そうは思っても、実際はそう簡単ではないです。 例えば、ワインに明るくない人が、ワイン好きの人にワインを贈るのはちょっと危険です。 「あの人はワインが好きだから」と思ってなんとなく選んだものを贈っても、実際は「俺、実は白ワインってあんまり飲まないんだよな。どうせなら赤が良かったな。」となる場合があります。 飲んだ白ワインが意外と美味しくて、「おや、白ワインもいけるじゃん。新しい扉を開けてくれてありがとう。」となることもあるかもしれないが、それはたぶん、だいぶレアです。 そんな危険を回避するためには、専門家を使うという方法があります。 ボクモの常連さん(女性)で、僕を上手に使う人がいます。 その方は、常連さん(ワイン好きな男性)への誕生日プレゼントを「岩須さん、あの方が好きそうなワインを選んでおいてください。」と僕に発注します。 僕は、その男性の好みを把握しているので、外さないセレクトができるというわけ。 とてもありがたいやり方です。みんなに真似してほしい。笑   そうそう。 なぜ今回、プレゼントのことを書こうと思ったのかというと、もうすぐ妻の誕生日だから、なのです。 もうだいぶいっしょにいるので、正直、ネタが尽きてきた感は否めないです。 先日、なにかいいプレゼントはないかとデパートをぐるっと一周したものの、喜ばれそうなものがまったくわかりませんでした。 自分が選べるものの丸と、妻が喜ぶものの丸の、いわゆるベン図の重なりあう部分の面積は、年々小さくなっている気もします。生活を共にするってそういうことなのかな、と。   そこで、無粋とは思いながら、昨日、思い切って聞いてみました。 「なにか欲しいもの、ある?」と。 渡すときのサプライズ感はゼロになりますが、不要なものをあげてしまうリスクはなんとしても回避したかったので、致し方ないです。 すると意外な回答が。 「凪良ゆうの新刊が気になる」 おお、そうなのね! そう言えば、一昨年くらいに「流浪の月」をプレゼントしたことがあって、気に入っていたっぽかった。 新刊は・・・去年出た「汝、星のごとく」ね。つい先日、本屋大賞に選ばれたのか。なるほど、それで書店でコーナー展開していて、気になっていたんだ。 よし、決まった。助かりました。 情緒を削って、実益をとる。そんな年頃になってきたのかな。 さあ、本屋に行こう。

きっかけづくりは大事

先日、久しぶりに外でワインを注いできました。 場所はお花見会場。名古屋の中心部から近い鶴舞公園です。 そこではラジオ局のZIP-FMによる催し物が開催されていて、その中の目玉のひとつが「SAKURA WINE FESTIVAL」というワインイベントでした。 僕は32歳まではZIP-FMのディレクターでした。僕にとっては、社会人の第一歩の場所であり、あの時代はいろいろ貴重な経験をさせていただいたと思っています。にも関わらず、なかなか恩返し的なことができていないなあと、ずっと引っかかっておりました。 しかし今回、コロナ禍明けを華々しく祝うように、「お花見+ワイン」のイベントが開催されると知りました。さらにそのイベントの中心人物が、僕にワインを教えてくださった方(元ラジオプロデューサー)だというご縁もあって、これはちょっとは役に立てるチャンスかもと思い、ワインの注ぎ手を志願したわけです。 当日は晴天に恵まれ、イベントは大盛況。わんさかという言葉が似合い過ぎるほどの、わんさか具合でした。 ワインブースのテントも、ずっと行列が絶えず、僕も気付けば数時間注ぎっぱなしでした。普段の営業であれほど連続で注ぐことはないので、途中から腕がぷるぷるしていました。が、「名古屋にもこんなにワインを楽しむ人がいるんだ」と実感できたのは、とてもよかったなあと思います。 ただ、すこし冷静になって考えてみると、やはりお花見のイベント会場という「お祭り感」があったからこそ、あんなにたくさんの方がワインを飲んだのかな、とも思いました。 この地方はハレとケをしっかり分ける人が多いと、昔からよく言われます。 普段は倹約。お祭りは大騒ぎ。製造業で働く人が多いのが関係しているのかもしれませんが、ON / OFFの区別が明確な人が多いなという印象は、僕にもあります。 今回のイベントは、いよいよコロナに振り回されない春がやってきたという解放感、お花見が堂々とできる喜び、天候の良さなど、ポジティブな要素が重なり合いました。お祭り感がブーストされた感じ。 そして、そういう場所では「非日常なもの」が似合います。屋台ではおしゃれなエスニック料理や石窯のピザ、鮎の塩焼きなんかも出ていて、みんな非日常を謳歌しようと、列をなして買っていました。 ワインもやはりそうなんだろうな、と。僕ら提供する側としては、もうちょっと日常の飲み物になってほしいと思うのですが、まだ多くの人にとっては「お祭りだから飲んじゃうオシャレドリンク」みたいな位置づけなのかも、と思います。 ただ、入り口がそうであっても、「あれ?オシャレと思って飲んだら、自分にあうかも」という発見をした人がいたら、それはとても喜ばしいことです。 やっぱり、出会うきっかけがないと、何事も広まらない。きっかけづくりは大事。たくさんワインを注いで、それが実感できたのは大きな収穫でした。 よーし、今年はニュージーランドワインのブース、どこかのお祭りに出店しますか! こんなお祭りどう?ってな情報があれば、よかったら教えてくださいませ。また腕をぷるぷるさせながら注ぎたいな。

名付けは難しくて楽しい

名前をつけるのって難しいけれど楽しいです。 例えば、「ボクモ」という店名。 つけたのは14年前のこと。いろいろ候補を出して、2択までしぼって、最後にシェフにどっちがいい?と聞いて、選んでもらったのがボクモです。 ボクモの由来は、RADWIMPSの曲の歌詞です。 ラジオディレクターだった頃、RADWIMPSのインディーズ時代の音源に出会い、どうしてもこの人たちと番組がやりたいと企画書を書き、運良くそれが通って、デビュー前の半年+デビュー後の半年の合計1年、いっしょにお仕事をさせて頂きました。 あの1年間の経験は僕にとってとても特別でした。これから羽ばたいていく人たちのエネルギーの塊みたいなものを間近で見るという、貴重な体験をさせていただきました。 店をやるときに、あのとき感じたエネルギーを店の名前に込めたいと思い、僕が好きな曲「夢見月に何思ふ」の歌詞の一部を拝借し、ボクモがいいな、と。 野田洋次郎氏にも、事務所の社長にも「拝借しても良いですか」と聞いたところ、良いも悪いも「僕も」って別に誰のものでもない言葉ですよ、と言われ、たしかにそりゃそうかとなり、使わせていただくことにしました。 ちなみに店をオープンしてから、野田洋次郎氏からは「ボクモって実はボクチンのパクリでしょ?」と言われました。ボクチンってのは、彼らの事務所の名前。 そのつもりはなかったけれど、なぜか寄ってしまった形になりました。もしかしたら、心のどこかにパクりたい願望があったのかもしれませんが。 今振り返っても、これからはじまる店名を考えている時間は、かなり楽しかったなと思います。自分でつけた名前を色んな人が呼ぶことになり、やがて一人歩きすることになるんだ、と思うとわくわくしたし、シェフに候補を言うときにドキドキしたこと、今もはっきり覚えています。 結果、2009年の開店から今年で14年、今もボクモは自分が好きな名前のままです。ボクモにしてよかった。   さて、目下考えているのは、春からスタートするこの新しいデザートの名前です。 店名ほど大きなテーマではないですが、やっぱりメニュー名も、今後愛されるかどうかに大きく関わります。 このデザートの内容は、 「ホーキーポーキー」というキャラメル入りバニラアイス(NZでは超有名) 三河みりんを練り込んだお米のアイスクリーム NZで定番のスイーツ「アップルクランブル」をトッピング キウイフルーツのソースをトッピング 昔懐かしいサンデーの器で提供 というものです。 ニュージーランドの要素と日本・愛知の要素をミックスさせた感じですね。 こういう要素が多いものって名付けが難しいです。 全部を伝えるわけにはいかないので、情報を取捨選択しなければいけない。でもどれも大切な要素なので、削りづらい。となると、中身の説明をせずに、ふわっとした「雰囲気を伝える名前」の方がいいのかなあ、と思ったり。 情報を整理しつつ、中身を伝えるネーミングなら 「ホーキーポーキー&三河みりんサンデー」 とか 「アップルクランブル添えダブルアイス」 とかでしょうか。...

東京に行ってきました

東京に行ってきました。 目的は結婚50周年を迎える両親の金婚式のお祝いのためです。東京に住んでいる兄ファミリー、愛知県に住んでいる両親、そして僕たちファミリーの合計9人が東京に集まり、ご飯を食べたり観光をしたりして過ごしました。 着いてすぐに、東京駅の近くで昼ご飯をいただきました。ただ、このときは食事そのものよりも、どうやってその店が成り立っているかに気がいってしまいました。 お店の広さはたぶん40坪くらい。家賃は坪単価5万円くらいかな。ってことは月200万円。目標月商は2,000万円。30日営業するとして、日商は66.7万円。ランチの平均単価は1,800円。ディナーは5,000円。ランチ100人、ディナー100人で儲けがでる感じかな。なんて。 いかんです。こういうことばかり考えていると、純粋に雰囲気や料理が楽しめないな、と反省し、次の食事からは電卓をはじくのをやめました。 昼からは駒沢オリンピック公園へ。 父親はその昔ハンドボールの選手だったのですが(どうやら日本代表だったらしい)、その公園でよく試合や練習をやっていたそうで、思い出の場所巡りをしたのでした。 公園の近くに当時住んでいた寮があって、もしかしたらその近辺に行ったら当時の記憶が蘇るかも、とタクシーの運転手さんにお願いをしてぐるぐるまわってもらいました。 しかし当然60年も経てば町はまるっきり変わってしまうわけで、住んでいた寮もなければ通っていた銭湯もなく、残念ながら、思い出に繋がるものは発見できませんでした。 ただ、公園に立っているオリンピック記念塔は「これは当時のままだ」そうで、とりあえず記念写真を撮ることができて、まあよかったです。 親の思い出の場所に行くという経験、初めてでしたが、良いもんでした。当たり前ですが、父親にも青春時代があり、その後母親と出会い、今の自分に繋がっているんだなあ、と。 夜は、ホテルの懐石ディナー。 途中、僕と兄から両親への表彰状を渡したり、娘から記念品のプレゼントがあったり、甥っ子のダンスコーナーがあったりと、盛りだくさんのアトラクションを挟みながら、夕食を楽しみました。 翌日は、豊洲市場を見学してから刺身定食を食べ、お台場から水上バスで浅草へ。浅草で両親をフットセラピーの店に放り込んで、僕は両親がご近所さんに配るお土産の買い出しへ。コンビニからお土産を発送したら、タクシーで日比谷へ。 予約しておいたかっちょいいスペイン料理屋さんで、ピンチョス、タパス、パエリア、アルバリーニョ(白ワインね)を堪能して、大満足でした。美味しくて楽しくて、坪数や客単価を考えている暇などありませんでした。これが正しい旅行ですな。 それにしても、どこへ行っても思ったのが、人の多さです。途中で、母親が「人に酔ったわ」と言ってましたが、まさしく僕もそんな感想です。 そして、水上バスでお台場から豊洲、そして隅田川を上っていく間に、もの凄い数のタワーマンションを見ました。 ひとつひとつのマンションにどれだけ人が住んでいるのかを考えると、くらくらしてきます。 と同時に、「まだまだやれるぞ」とも思いました。 なにがまだまだやれるのかと言うと、ニュージーランドワインの通販です。 当然、あのマンションの中には、ワイン好き、ニュージーランド好き、ニュージーランドワイン好きという方が、いっぱい眠っているはずです。 飲食店は来ていただかないと価値を届けることはできないですが、通販ならば、あのマンションの窓から顔を出しているあの方にも、あの美味しいソーヴィニヨン・ブランを届けることができるのです。 頑張らねば。もっと知ってもらう努力をしなければ。 ちゃんと広告を頑張ろう。 よーし、広告予算、電卓をはじくとしますか。