年をとってくると、好きなものが定まってきます。
たとえば、小説ならば、パラパラっとめくれば自分が好きなタイプかどうかだいたいわかるようになる。
そば屋では、メニューを見て一応は迷うけど、結局は山菜か鰊(にしん)に落ち着く(←じじいのセンス)。
テレビドラマは、再放送で内容を知っていても「相棒」ならついつい見ちゃう(←じじいのセンス)。
新しいものがくれるわくわく感よりも、自分の体にフィットするであろうという安心感を優先しがちなんですな。
なんせ、この肉体を長年操縦してきた実績があります。そして肉体には、以前、自分を喜ばせてくれたものがしっかりインプットされています。その経験を踏まえると、安心感のある方を選択してしまいます。楽だから。
しかし、楽な選択肢を選び続けると、他の選択肢を排除しがちになります。価値観が凝り固まってきます。そして、最悪なことに、他者の好みに不寛容になります。
・・・いかん。
「なりたくなかった偏屈じじい」へとしっかり進んでおる。
これはなんとか軌道修正せねばならぬ。
わかってはいるのです。回転寿司でサーモンばかりを注文しているとき、いかんいかん、とは思うのです。でも、なかなか自分からは変えられない。
誰かに、こっちの道も楽しいよ、とおすすめしてもらえたら、たまには冒険の道を選ぶことができるのかもなあ。
と、思っていたじじいに、活を入れてくれる方が現れました。
彼女は、ニュージーランド在住の方。
以前、ボクモに通ってくださっているときに、「私、ニュージーランドに移住したいんです!」とカウンターでずっとおっしゃっていた方。
夢を実現されて、今、オークランドに住んでいらっしゃいます。すごいですよね。立派です。
先日、一時帰国したときに、ボクモに寄ってくださったのですが、そのときにいただいたお土産がこれ。
フェイジョアの実でつくったスパークリングワインです。
フェイジョアとは、ニュージーランドでは非常にポピュラーな果物。ですが、僕はまだ食べたことがありません。
噂では「癖があるけどハマる人はハマる」と聞いていたので、ニュージーランドに行ったときは、スーパーのフルーツ売り場ではフェイジョアは素通りしてしまい、プラムばかり買って食べていました。だって、NZのプラムめっちゃくちゃ美味しいんだもん。
「私、フェイジョアが大好きで、このお酒はフェイジョアの味そのものなんですよ」とその方はおっしゃいます。
来ました、冒険の道!
自分から積極的に選ばないものの中に発見がある。新たな価値観に出会える。
「ありがとうございます!この年になっても初体験ができるのって、嬉しいです。」
と、フェイジョアワイン、いただきました。
結果は・・・
もうね、なんていうか、非常に言葉を選んでしまうのですが・・・
香りが苦手(選んでないやん)。
グラスから立ちのぼる香りを嗅ぐたびに苦虫を噛み潰したような顔をしている僕を見て、その方は大笑いしていました。
ほんと特殊なんです。これまでに嗅いだことのない香り。
ソムリエだったら、何かに例えて表現しなさいっていう話なんですが、ちょっと無理です。自分の人生の中にない香りなんだもん。
強いて近いものを探して表現するならば、小さい頃に連れて行かれて、不安いっぱいな気持ちで廊下で待たされているときの病院の香り。うーん、すごく私的&ネガティブ。
柑橘類の皮の要素、それからパイナップルのような南国系フルーツ、はちみつやシロップのようなニュアンスはあります。
フェイジョアはグアバの親戚らしく、確かにグアバっぽいとも思ったのですが、僕のグアバ経験値は、昔飲んだ缶ジュースのオリエンタルグアバ(名古屋ローカル!)くらいしかないので、ちょっと当てにならず。
やっぱり一番はじめにくるのは、病院かな。。。すみません、へんな表現で。
でもね、飲んだら、そうでもないんです。ちゃんと美味しさはある。独特だけど旨みがしっかりあって、なるほどこれはこれで面白い、となります。シェフとスタッフゆりちゃんは、素直に美味しいって言ってました。
そして、このフェイジョアワインを飲んで、「本物のフェイジョア、食べてみたい」と思いました。本当にこの味なのか。自分が苦手とする香りが果物にもあるのか。果物ならばそんなに感じないのか。ハマる人はハマるっていうから、僕にももしかしたらその素質があるかもしれないんじゃないか。とても知りたくなりました。
これぞ、出会いの面白さ。新しい刺激は、新しい行動につながります。日本でも栽培されているようなので、フェイジョアの実、探してみようと思います。
冒険じじい、一歩前へ。