ソムリエバッジをなくしちゃった。
これで2回目です。
ああ、やってしまった。
1回目は、野外イベントに出店しているとき。
「青空ワインバー」と題して、公園で昼間っからワインを注ぎ、ミュージシャンをお呼びしてライブをお客さんに見てもらったりして、わいわい楽しくやっていました。
薄暗くなりかけてきて、撤収作業をしているとき。
あれ、胸のバッジがない。。。
どこだ、どこで落としたんだ。その日は知り合いの出店者に挨拶するために会場をぐるぐる回った。ライブ機材の搬入や搬出もやった。ちょっと離れたトイレにも行った。ワインを冷やす氷が足りなくなって店に取りに戻ったりもした。
いつどこでピンが外れて落ちたのか皆目見当がつかないぞ。
夕暮れの公園をあちこち探し回りましたが、結局見つからず。
ああ、やってしまった。再発行費用は2万円。高いよ!
ただ、そのとき、兄の言葉を思い出しました。
兄は東京在住のワイン好きサラリーマン。ワインバー事情にも明るく、僕にもちょくちょくアドバイスをくれます。
その兄はかねてから言っていました。
「バッジをつけてるソムリエが、良いソムリエとは限らない。つけてなくて、良いサービスをしてくれる人もいっぱいいる。」と。
そっか。そうだよな。格好じゃなくて、態度が大事。ラッピングじゃなくて中身。
よし、明日からはバッジなしで行こう。と思って、半年くらいはバッジなしでやっていました。
ただ、その間、ちょっと困ったこともありました。
お客さまにワインの説明をしたときに「ちゃんと聞いて頂ける」率がちょっと減ったのです。
ボクモは比較的カジュアルな雰囲気の店なので、ソムリエがいると思わない方もいらっしゃいます。
そんな中で僕がバッジをつけていると、「ああ、この人にワインのことを聞けばいいのね」というモードになって、ワインの紹介をしっかりと聞いていただけるケースがありました。
(もちろん、バッジが何なのかを知らない方もたくさんいらっしゃいますが)
しかし、バッジがないと、いまいちワインの話が盛り上がりにくいと感じることもあって、やっぱり馬子にも衣装というか、おっさんにも葡萄バッジだなあと思うこともしばしば。
そう思っていたところに、日本ソムリエ協会から「再発行1回目は5,000円でオッケー」の通達が!なんと15,000円のディスカウント!
やっぱりつけようと思い、5,000円を上納し、新しいバッジを手に入れました。
前回はピンで刺すタイタック式で、いつの間にか留め具が開いて落ちちゃったので、今回はマグネット式のバッジにしてみました。
サイズはやや小ぶりになって、軽い。これならきっと落としにくい。
と思って、ここ数年はマグネットの5,000円バッジをしておりました。やはり、バッジに気付いたお客さまから、ワインの説明を求められることは多いし、ワインに詳しい方とのマニアックトークにも拍車がかかります。
やっぱりうちの店ではバッジありの方があっているんだなあ、と思っておりました。
が、先日、1度目のポカをしてしまったのです。
あれはニュージーランドからSNSで知り合ったToshiさんが来店した日。非常に楽しいひとときで、終始わいわいと盛り上がったのですが、帰り支度をしているときに、ふと気付きました。バッジがない。
その日はたまたま非番のマオちゃんが友達と一緒にご飯を食べに来ていて、「店長のぶどうのバッジって、ソムリエのバッジなんだよ」なんて、友達に説明をしてくれていました。
なので、その時点(営業前半)ではバッジはしていたのは間違いない。後半、慣れない英語で身振り手振りで喋ったり、客席で記念写真を撮っているしているうちにどこかに行ってしまったんだ。
そう思って、あちこち探しました。
次の日も。その次の日も。
絶対に店内にあるはず。くまなく床を探します。でも全然出てこない。
焦りました。恐る恐るソムリエ協会のサイトを見ると、2回目の再発行は20,000円ときっちり書いてあります。いやーん。
どうしたもんだろう、困ったなあ。
そう思っていたら、なくして3日目。開店準備をしていたスタッフゆりちゃんから、「いわすさーん!」と呼ぶ声が。
こっちです、と言われて倉庫に行ってびっくり。
ありました!
スチール製のワイン棚に、ぴたっとくっついておりました!木で休んでいる虫のように!
ナイス発見、ゆりちゃん。ありがとう。
おそらく急いでいたのでしょう。奥のワインをとろうと手を伸ばしたときに、ジャケットのバッジがマグネットごと吸い付いてしまったのだと思います。
それにしても、あってよかった。急にバッジが愛おしく感じました。
仕事ができる人は道具を大事にする、とよく言います。
スクリューキャップ採用率99%のニュージーランドワインを扱っていると、ソムリエナイフを使う機会がほとんどなくなってしまいました。
バッジは僕に残された、数少ないプロ用の道具。もっと大切にしなきゃいかんと自戒するきっかけになった出来事でした。