しかしいざ始めると、海外自体が久々すぎて、はて何を用意すれば良かったんだっけ、となってしまう。
でも、旅行グッズをいくら揃えても、なにか足りない気がする。なんだろうな、このそわそわは。
そう思っていたけれど、さっきようやくその原因らしきものに気付いた。
次の旅は、人生を左右するものになる。
実は僕は、今やっている飲食店と通販店、今後どのような方向で進んでいけば良いのか、いつも迷っている。
きっとそれは、ずっと矢場町にいて、繰り返し同じような仕事をしすぎているからなんじゃないか、と最近思う。ボクモやボクモワインという器にお客さんを受け入れることばかりに一生懸命で、肝心のその器を磨くことをおろそかにしていたような気がするのだ。
この先、どの道が僕らにとって良いのか。どの道が楽しいのか。いくつも伸びている紛らわしい道の中から、「これは違う」を消す。そして、ひとつの道を選ぶ。その道がたとえ薄暗くとも、ぴかぴかに磨いた器で、わずかな光をその道に照らし、堂々と笑って進みたい。
そんな、これからやっていく上での自分の「拠り所」みたいなものををつくる旅にしたいのだ。
ちょっと振りかぶりすぎかも知れない。でも、せっかく店を休み、片道10.5時間かけ、遙かなる真夏の列島を転々とまわるんだから、それくらいの野望がなくてはと今は思っている。
そう。だから、そんな人生を左右する旅にするために足りていないのは、おそらく気持ちの準備だ。
よく、旅は準備から始まっている、という人がいるが、まさにそのとおり。気持ちを整えないと、旅先で深く感じ入ることなどできない。
現地で感じたことだけが旅のすべてではない。現地で感じるための感性を高めておくことも旅の一部なのだ。
そう言えば、大学生のとき、友人とイギリスをぐるっと廻る旅をした。あのときは、沢木耕太郎の「深夜特急」を何度も読んで、バックパックを背負って行った。あの本のおかげで、自分だって何かを見つけてやろうという気持ちが湧き上がったのだ。実際、現地では面白いことにいっぱい遭遇した。好奇心が面白い出来事を呼び寄せることが、あの旅でわかった。
今回もそうせねば。先人に力を借りよう。
そんなことで、紀行文の名著と言われる池澤夏樹の「明るい旅情」を読み始めた。
古い本だがいい。読み進めるうちに旅人の視線が僕の視線となる。そうかそうか、旅ってこうやって楽しむんだな。