今、目の前に「ミュージシャンになりたい」と言っている女性がいます。
彼女の名はカズミナナ。
ボクモのスタッフとして、ホールの仕事を頑張っている21歳です。
今日も、終電ギリギリまで一生懸命グラスを洗っています。
僕は、ミュージシャンになりたいと思ったことはありませんが、ミュージシャンになりたいという人の気持ちはわかります。
音楽が好きだから、一日中音楽だけをやって、生活したい。そして、自分が作ったもので世の中に認められたい。
自分の好きなことをやって、物質的にも精神的にも満たされたい。
もし自分も歌が上手で、楽器が出来て、作詞や作曲もできたら、そう思っていただろうと思います。
ただ、一方で、趣味と仕事はわけた方がいいという話もよく聞きます。
趣味が高じて仕事にしたはいいが、自分が好きでやっていることと、世間のニーズがマッチしなくて、あんまりお金がもらえない。
で、世間のニーズにあわせに行って作品を作ると、はて、これは本当にやりたかったことなんだろうか、となってしまう。
僕は、音楽業界に近いところで仕事をしていた時期があり、わりとそういう「夢と現実の狭間で揺れ動いている人」を見ました。
大人が会議室で練った方向性をもとにして音楽を作ったけど、結局これって、誰のパッションがのっかった作品なの?みたいなことになったり。
音楽を作って売るって難しいなとつくづく感じました。
とくに「売る」ということは、個人が創作した良い物を世に広める、というシンプルなことのように見えて、実はそうではありません。
そこには、業界の仕組みがあり、その仕組みを構成する人たちの事情が、いろいろ複雑にからみあっています。
「産地直送」って魅力的な感じがするけど、実際は、流通業者さんがいろいろ仕事してるからこそ、たくさんの人の口に美味しいものが届く、みたいな感じかな。
とにかく「広める」ってことは、良くも悪くもいろんな人の思いがのっかるもんです。
たくさんのユーザーにダイレクトに届けるのって、なかなか難しい。でも、その難しいところが打破できたら、音楽を作った人のパッションは、受け取り手の心に強く響くと思います。
僕らのような飲食店も、ちょっと似ているところがあります。
ボクモをはじめた13年前は、世間のニーズありきで「これやったら流行るかな」と思って店をつくったわけじゃないです。
僕とシェフで力を合わせて、こんな感じの空間があったら楽しいよね、とボクモを作りました。
まさに、マインド的には「好きなことをやって、満たされたい」でスタートしたわけです。
ただ、当然世の中そんなに甘くない。
最初のうちは、ぜんぜんお客さんが来ませんでした。
これはいいぞ、と思って投入したメニューの反応がいまいちだったりしたことは、数えきれません。
やばい、お客さんが少ない、どうしよう、と焦って、某大手媒体に高いお金を払って集客しようとしたら、ぜんぜん効果がなくて、さらに状況がやばくなってしまったこともありました。
あのときはウブだったなあ、わたくし。今だったら絶対にやらないもんなあ。
でも、やっていくうちに、これなら認めてもらえるな、ということがちょっとずつわかってきて、今、なんとかギリギリやれている感じです。
去年からはじめたボクモワインもそう。
このやり方だと喜んで頂けるけど、こっちのやり方はいまいち。じゃあ、次はどうしようかな。そんなことの繰り返しです。
日々「もっと世にフィットするためには頭を使えよ」とたくさんのお客さんに教えて頂いて、ここまで来ているのだなあ、と実感します。
ありがたいことに、僕の場合は、「世間のニーズにあわせに行ったけど、これって本当にやりたかったこと?」とは思わない性分です。
逆に、フィットする方法を見つけるのが楽しい。こんな偏った自分が世間の中にいてOKなやり方、見つかるのだったら、探したいといつも思っています。
ただ、そう思う一方、やっぱり芸術のジャンルは、フィットさせない美学があったほうがいいなと思います。
カズミナナちゃんは、シンガーソングライターとして、プロを目指しているんですが、彼女の音楽も、お客さんに向けて歌っているわけじゃなくて、自分の表現として歌っている感じです。
それを貫きつつ、音楽を職業にすることは、まあそりゃハードルは高いとは思います。
でも子どもの頃からミュージシャンになりたい、と強く思っている彼女。出会ったときから、夢を叶えそうな匂いを僕は感じています。
最近は、ちょっとずつファンが増えています。
たぶん「あの子のパッションを誰かに伝えなきゃ」と思わせる力があるんだろうな。
ついこないだい自主製作の3枚目のアルバムができたので、よかったら聴いてみてください。
超・産地直送ですよ。
ナナちゃん、今日もお疲れ様でした。帰ってまた1曲つくるのかな。残りのグラスは洗っておきます!