「もし人生のある地点からやり直せるなら、いつに戻りたいですか?」
僕はうーんと考えてしまいました。
どんな人生であれ、多かれ少なかれ、後悔はあると思う。
立派な人だって、あのときなんであんなことをしちゃったんだろう、って思っている気がする。
大谷翔平ならば別かも知れないけれど。
でも、大谷翔平だって、自転車で夜道を走っているときに、過去のやらかしが突然頭に蘇ってきて、わーーと大声を上げて立ち漕ぎをした経験があるでしょう。
ないか。
ただ、そのとき思ったのは。
「もしやり直せるなら」という問いが、若い人からおっさんに向けて出るのって、なんか凄くないかということ。
その彼は、この春から就職し、東京に行くのだという。もしかしたら、おっさんの後悔ポイントを仕入れておいて、これから自分はそうならないように注意しようと思ったのかなあ。
きっと彼は社会に出るに当たって、今、人生について真剣に考えている時期なんだろうな。偉い。老成している。
自分が若いときは、おっさんがしまったと思っていることなんて、まったく興味がなかったです。目の前の自分ごとでいっぱいいっぱいで、年長者のすねの傷を他山の石にしようなんていうアイデアなんて思いつきもしなかった。
SNSで「人生何週目?」っていう言葉が流行ったり、ドラマ「ブラッシュアップライフ」でループ構造の世界観が話題になったりしましたが、若い人たちには、ああいうのの影響があるのかもな、と思ったりもしました。
今って、人生ってものを俯瞰して見て、自分が今人生のどのへんなのかをちゃんと認識できる人が多いのかも。
僕なんか、大学の頃なんて、目の前50センチくらいしか見てなかったなあ。
そして、僕はその「いつに戻りたいですか?」にこう答えました。
「大学を卒業するときです。」
僕はアホだった。あのとき、新卒というのが人生に一回きりで、学生にとって素晴らしく価値があるものだということを知らなかったのです。
就職活動のときに、ちゃんとその価値をわかっていたら、もうちょっとまともな道を選んでいたかも知れない。
しかし、あのときの僕は、バイトでやっているラジオの仕事が楽しくて仕方がなかった。目の前の50センチくらいしか見えていなかったので、まんまと就職活動をし忘れ、学生ADからフリーターADになりました。
そして、目の前の楽しそうなことを選択し続けて、飲食店にたどり着き、今に至ります。その結果、いまだに自転車で「なんであんなこと言ったんだ俺!」と叫んで立ち漕ぎをします。それも込みで楽しいなと思ってます。
どうやら人生を俯瞰するというスキルを身につけることなく、すくすく無邪気にアラフィフになってしまったようで。
うまくまとまらないですが。
若い人よ。
目の前のやりたいことをやり続けたら、こんな感じになるという1サンプルの人生がここにあります。