ボクモスタッフの中では年長者(断トツおっさん)だし、ボクモのカウンターにいらっしゃる方も年下の割合が多い。通販のボクモワインはほぼ同世代の集まりです。
実質、僕が弟らしい弟、自他共に認める紛れもない弟だったのは、実家にいた20歳まで。
その後、ラジオ局で学生ADをやりはじめたころは、最年少スタッフだったので、「おい、ナオキ!」とか呼ばれて、まだかろうじて弟っぽさはありました。
しかし、年下の人が多くなり、「岩須さん」と呼ばれることが増えていくと、甘えん坊ではいられなくなってきます。
苦手ながらもちょっとずつ脱・弟化していき、「これが大人ってやつかな」という像を演じるようになりました。
そして、いつしか自分のキャラクターとして体に馴染んでいき、実家暮らしの甘い僕ちゃんからは遠ざかっていきました。
今では「岩須さん末っ子なんですか?そうは見えなかった」と言われるほど、弟色を薄めることに成功していると思います。成功って、別に薄めたかったわけじゃないんだけれど。揉まれて自然とそうなった感じなので。
しかし先日、ああ、やぱり僕は弟なんだ、と思う出来事がありました。
兄がシャツを送ってきたのです。
今年の正月に会えなかったこともあり、兄夫妻は年始の挨拶にと、東京の珍しくて美味しいお菓子を送ってくれました。その箱になぜかギンガムチェックの可愛らしいコットンシャツ(男物)も入っていたのです。
衣類を送ってくるなんて珍しい。いや初めてじゃないか。
どんな意図?と思ってLINEしてみたところ、こんな返事が。
「洗って縮んじゃったのよねー。ほとんど着てないので、もし好みならと思って、菓子の緩衝材代わりに入れてみた。着なかったら処分して。」
ほほう!お下がりとな!
思い返すと、うちは裕福な家庭ではなかったけれど、親から兄のお下がりを着させられた記憶はあんまりありません。
きっと母親は、昔自分がお古を着させられて嫌だったから、僕にはそうしなかったんじゃないかと思います。
おそらく幼い僕もお下がりを嫌がったことがあるのでしょう。
でも、おっさんになった今、お下がりの受け止め方は、大いに変わった。というか、変わったことを、このシャツで知りました。
兄弟げんかをしていた子どもの頃。
あんまり連絡をしなくなった青春期。
お互いに家庭を持って、たまにいっしょにワインを飲むようになった今。
そんな変遷を経て、兄弟はおっさんとなりました。
そしてシャツに袖を通して、思わず笑いました。
「兄のお下がりを着るって、めっちゃ弟やん!!」
ああそう言えば、僕は弟だった。
シャツが、僕を長らく離れていたホームポジションに戻してくれた。懐かしい自分に再会した気分。
そうだ。東京へこのシャツを着ていって、兄とサシで飲もう。うん、それがいい。きっと弟にもっと浸れる。