これは僕にとっては永遠のテーマである。
若い頃は洋楽ばかり聴いていた。邦楽も聴いていたが、琴や尺八を使ったいわゆる純邦楽ではない。海の向こうの楽器と理論で作られた、いわば輸入品を日本で加工して親しみやすくした音楽だ。
そして、今は日本酒や焼酎じゃなくて、ワインだ。ふと立ち止まると、日本人のくせに日本固有の文化に愛が足りないんじゃないか、と我ながら思ってしまう。
なんで我々はこの業界にいるんですかね?と。なぜ日本人は舶来品に弱いんですかね、と。
しかし、すっきりする回答をもらったことは今のところない。
今時こういうときはAIかと思って、ChatGPTに尋ねてみる。
結果は・・・
「日本には長い鎖国の時代があったため、西洋からの技術や文化が貴重なものであるという意識が根付いていました。明治維新以降、日本社会は先進的な西洋文化を取り入れることで発展を遂げました。この過程で、「舶来品」=「品質が良くて新しいもの」というイメージが定着したのです。
また、戦後の復興期において、アメリカやヨーロッパの製品が「憧れ」や「豊かさ」の象徴とされるようになり、舶来品がステータスシンボルとなりました。この時代の人々にとって、舶来品を持つことは経済的な成功や流行の最先端にいることを示す一種のステータスだったのです。
さらに、日本文化には古来から「他者から学ぶ」という精神があり、異文化を取り入れつつも自分たちの価値観に合わせて独自の形に発展させることが得意です。舶来品に対する強い関心は、新しいものや他文化への好奇心の表れでもあります。」
すごいなAI。なんとまあ、納得のいく答えでしょう。
この回答を数秒で出してくるとは、今まで永遠のテーマなんて思っていた自分はなんだったんだろうと思う。
明治維新で西洋に圧倒されたひいおじいちゃんたち、戦後の復興で豊かさを追い求めた祖父母と両親。
そういった異文化に向き合った上の世代の営みが、今の僕たちの趣向を作っているんだな。好奇心の旺盛さは、時代を超えて繋がっているものなんだな、と。
そして僕ははっとした。
もしかしたら、僕が舶来ものに惹かれる理由は、もうひとつ、遠い誰かとの繋がりを感じているからかも知れない、と。
ニュージーランドのワイナリーに行ったとき、働く彼らはこんなことを言った。
「僕らはワインというパーティーに遅れてやってきたんだ。だから必死で追いつこうとしているんだよ。」
その言葉に僕はしびれたのだ。
何千年も紡がれた重厚なワイン文化の中に、1980年代、突如としてに軽やかに現れたのがニュージーランドだ。
30歳を過ぎて、ひょんなことから飲食業に飛び込んだ自分もまた、遅れてきたやつだ。
伝統がなくたって、工夫と努力で追いつけるかもしれない。彼らはそう信じている。僕だってそうだ。
遠く離れているが、我々は新人同士という共通点がある。ワイナリーを巡ったとき、そんな繋がりを見つけられたことが嬉しかった。やっぱり繋がっている感覚っていいよ。勘違いだったとしてもね。心があったかくなるもん。
それにしてもすごいです。AIによって、上の世代との繋がりに気づかされ、横の同ジャンルの人との繋がりも思い出すことになるとは。機械から心のあったかさをもらえるなんて、不思議な時代になったもんだ。
さて、皆さんとの繋がりに支えられて15年。今週開催のボクモの周年パーティー、おかげさまで初日と3日はご予約で満席となりました。
11/16(土)は、まだ数席のご予約枠があります。この日は、アイルランド音楽、アイリッシュダンス、北欧音楽の素晴らしい異文化を届けるミュージシャンが登場します。悠情さん、望月雄史さん、Risaさんです。
こちらです。
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